40.相模、近江 (改翔鶴Ⅲ型)
この型の空母を以下の様に整理します。
Ⅰ型
大鳳 神戸川崎 昭和16年(1941) 12・10竣工
祥鳳 横須賀 昭和17年(1942) 02・08竣工
瑞鳳 三菱長崎 〃 01・24竣工
龍鳳 〃 〃 06・13竣工
Ⅱ型
駿河 佐世保 〃 05・10竣工(サイドエレ採用)
尾張 大連 昭和18年(1943) 09・03竣工 ( 〃 )
Ⅲ型
若狭 室蘭 〃 11・03竣工(サイド+エンクロ)
土佐 三菱長崎 〃 11・10竣工( 〃 )
出雲(Ⅱ型)室蘭 〃 02・02竣工(サイドエレのみ)
上総 神戸川崎 昭和19年(1944)01・15竣工(サイド+エンクロ)
薩摩 呉 〃 01・19竣工 ( 〃 )
相模 横須賀 〃 06・04竣工 ( 〃 )
近江 神戸川崎 〃 08・01竣工 ( 〃 )
安芸(紀伊から改名)呉 建造中止
5035号艦(予定名摂津) 〃 〃
【要目】 Ⅰ型・Ⅱ型 ( )内はⅢ型
基準排水量:33,675㌧(34,050) 満載排水量41,200㌧(41,350) 全長269.5m(273.7) 幅:29.5m
吃水:9.8m 満載吃水10.67m 高さ(飛行甲板まで)23m
飛行甲板:長さ265.7m(269.8) × 幅36.7m × 甲板前部22.52m(26.1)
最大幅56.5m(EV含む) エレベーター14×14m×3基 格納庫高さ5.5m
電動式揚弾筒×2基 同魚雷筒×2基
【機関】
呂号艦本式缶×8基 タービン×4基・4軸 16万馬力 速力33.5㌩
航続距離:18㌩にて10,700浬 発電機800kv×6基
【兵装】
98式10.5㎝連装高角砲×8基(16門) 戊式40㎜機関砲×19基(38門) 25㎜単装機銃(脱着式)×30基
【搭載機】
74~90機 + 補用 6~10機
例 : 戦闘機:烈風×36~48機 艦爆・艦攻:流星・彗星又は天山36機
偵察機:彩雲×4~6機
5番艦駿河以降烈風×48機 流星×36機 彩雲×6機 計90機
実史ではエセックス級の対抗馬は翔鶴と瑞鶴でしたが、本稿ではこの改翔鶴型の15隻がそれにあたることはもう何度も申し上げました。このクラスは完成時期により3クラスに分けられます。
Ⅰ型(大鳳、祥鳳、瑞鳳、龍鳳)は基本形で竣工を急ぐため翔鶴型の船体線図を利用し長さを14mほど延長し、煙突を24度右に傾けた5021号艦と同じ艦橋を右舷に設けました。同時に船体幅も広げたので飛行甲板幅も広くなり搭載機の移動が容易になりました。本級からは電動式揚弾筒、同魚雷筒を各2基設けましたので甲板での装着が出来るようになりました。
Ⅱ型(駿河、尾張、出雲)は1943年(昭和18年)から翌年初頭にかけて竣工した艦ですが、情報部が入手したエセックスの航空写真を分析した結果、左舷にサイドエレベーターが設置されていることが分かり、かねてから格納庫内での搭載機の移動に難があり接触事故なども起こっていましたので、この問題解決には有効であるとの判断が下され、直ちに採用することにしました。この為半年ほど竣工が遅れましたが艦隊での評価は高く以後の正規空母は全艦この方式となりました。中央部のEVは廃止され、庫内は有効スペースが広がり、これからの新鋭艦載機を待つことになりました。
Ⅲ型(若狭、土佐、上総、薩摩、相模、近江、安芸、摂津)は、以前より主に護衛空母が日本近海において荒波によって飛行甲板前部が破損することがあり、戦闘行動に支障をきたしていたので、その打開策として船体と飛行甲板前部を一体化することにしました。また、より強力なカタパルト(Ⅲ型41m)を装備するため長さも必要だったのでエンクローズド化は一石二鳥の効果がありました。既に英国ではハーミスやアークロイヤル、米国ではサラトガ等がエンクローズドされた艦首を使っており、特別新しいことではありませんが日本近海及び台風の波浪に対応するためにもこの艦首は有効でした。新型艦としては稼働率アップも期待でき若狭から採用されました。大鳳設計時の艦首構造が参考になり、サイドにナックルを付け、拡大された飛行甲板を更にサイドから支える構造になっています。形の上でのグループ分けは以上です。
この15隻は前述したとおり、数が欲しいという必要性から急造された空母ですが、幸い海上輸送総隊や海上護衛総隊の活躍で資材・物資の輸入は順調でして鋼材に困ることもなく設計図どおり各工廠及び造船所で建造されました。途中から国名に艦名が変わりましたが海戦の主役が空母になったためあえて八八艦隊の名前から付けてみました。護衛艦日向や伊勢、出雲などと同じです。
艦載機の進歩は日進月歩であり開戦時の零戦、99艦爆、97艦攻からわずか数年で紫電改、彗星、烈風、流星、はたまた彩雲の搭載が始まりました。日本もよく2000馬力級の戦闘機を作り上げたと感心します。あの資材がない時代の技術者の努力には頭が下がります。本稿ではガソリンのオクタン価(110)があがったことや過給機の装着で各機は2000~2500まで出力が上がっています。速度も流星で543→625、烈風では624→700km超となりました。また、翼の折畳み方式がより面積を小さくする方向になり、搭載機は90から100機程度まで増大しています。昭和19年の本級では48機の艦戦と36機の艦功で構成され米の艦載機のそれと同様になりました。
本級では艦載機の大型化を予想しエレベーターは3基とも14×14mと大型のものを採用しており、機体の大型化(流星:長さ11.5×幅14.4・7.1折畳み時)に対応しています。烈風などは二機並べて昇降下できます。装甲は施されていませんが重量は100㌧です。これは実史の大鳳でも、翔鶴級より大型化した同サイズのエレベーターが配置されていますのでこの通りにしました。
搭載機はエセックス型とほぼ同じ90機です。本稿では烈風、流星などは米艦載機と同様の主翼の折りたたみ機構を持っていることと、飛行甲板の拡幅による効果です。このくらい搭載しないと戦えないでしょう。先日沖縄戦のフィルムを見ましたが艦載機を満載した米空母がカタパルトの部分だけ空けてグラマンを発艦していたのを見ましたが、カタパルトの有り無しがこんな差を作ることがわかりました。やはり、カタパルトがないとだめです。因みにエセックス級の搭載機と本級の搭載機を記しました。
エセックス級 戦闘機 : グラマンF4F or F6F × 36機
艦爆 : ドーントレス × 37機
艦攻 : アベンジャー × 18機 計91機
大鳳・駿河級 烈風 × 48機
流星・天山 × 36機
彩雲 × 6機 計90機
※上記はこれで一定していたわけではなく時と場合により機種変更がありました。エセックスも同じですが…。
大鳳型の竣工時、機関砲は戊式40㎜連装砲×10基でしたがその後増設され15基、19基と増え続けています。無論レーダーと連動した94式射撃指揮装置は機関砲2基に対して1基の割合で設置されています。10.5㎝連装高角砲についても同様です。実史では初速1000mのこの砲は高空を飛ぶB-29まで撃墜しており、89式高角砲に比べかなり遠距離から対空射撃が可能になりました。この砲の採用により40㎜機関砲、25㎜機銃と共に遠、中、近の理想的な対空砲陣を揃えることが出来たわけです。これに秋月型や砲換装を終えたその他の対空駆逐艦・巡洋艦が護衛に加わるのですから対空砲火は米国を越えます。25mmは脱着式の単装砲としていますが少し重過ぎるかも知れません。いずれスポンソンを設けて固定式にするつもりです。
磁気近接信管を着けた弾幕の中に突っ込むことは、パイロットに相当の精神力の強さを強いましたが彼らはそれに勝って実行しました。米軍のパイロットも同様だったのでしょう。人間のことを考えると戦争というのは嫌です、哀しい。
護衛空母の船長同様パイロットの養成も大規模に行はれ、霞ヶ浦だけではなく浜松、横田なども予科練が開設されパイロットの大量養成が昭和12年から開始されました。何しろ空母搭乗員だけでも1万人は必要になります。護衛空母も含めての話ですが・・・。
大鳳から近江にいたるまでのこのクラスの正規空母は伊吹級とともにエセックス・インデペンデンス級と何度も戦闘することになりましたが、概ね腰の強い粘りを発揮しました。戦いの詳細についてはどなたか書いていただけるとありがたいです。