30.軽空母 ”讃岐”
讃岐(さぬき) 三菱長崎 昭和17年(1942) 2月16日 … 海上護衛総隊へ
伊予(いよ ) 三菱長崎 昭和17年( 〃 ) 9月15日 … 同上
筑前(ちくぜん) 新潟鉄工 昭和17年( 〃 ) 3月18日 … 同上
播磨(はりま) 横浜船渠 昭和17年( 〃 ) 4月05日 … 同上
常盤(ときわ) 日立因島 昭和17年( 〃 ) 5月03日
阿波(あわ ) 新潟鉄工 昭和17年( 〃 ) 6月11日
志摩(しま ) 横浜船渠 昭和17年( 〃 ) 7月06日
越後(えちご) 室蘭工廠 昭和17年( 〃 ) 8月23日
出羽(でわ ) 播磨造船 昭和17年( 〃 ) 9月21日
周防(すおう) 播磨造船 昭和17年( 〃 )10月14日
伊豆(いず ) 日立因島 昭和17年( 〃 )11月31日
和泉(いずみ) 新潟鉄工 昭和17年( 〃 )12月22日
合計12隻・全艦昭和17年に竣工
要目
基準排水量10,950㌧ 満載排水量13,500㌧ 全長167m 幅22m(飛行甲板24.4m) 吃水9.2m
機関艦本式蒸気タービン2基 21,600馬力 速力21ノット
備砲 戊式40㎜機関砲17基(34門)
搭載機:戦闘機(烈風換算)×18機 艦爆(流星換算)×15機
甲板繋止 艦戦×12機 33機+α
対潜使用の時
対潜哨戒機“東海改”12機(3機1戦隊×4) カ号改観測機×15機
又は
キ76(実史:三式指揮連絡機改=0式対潜哨戒機)
昭和15年(1940年)になり対米戦が現実になる可能性が増すと、南方からの輸送路を確保するため各種の艦船が計画されました。この計画を最初に手掛けた部署が後の海上護衛総隊になったわけです。計画されたのは海防艦、対潜駆逐艦、各種輸送船、防空輸送艦、上陸用舟艇などで、その数も1,000隻以上になります。米はLSTだけで1053隻ですからすごいですね。
本級もその中の一種です。独潜水艦が英国の護衛空母によって撃沈されているとの情報が入り、海軍も船団護衛に空母艦載機を使うことにしました。当初の計画では輸送船に簡単な飛行甲板を張ることで間に合わせるつもりでいました。しかし、索敵兵器の発達により艦載機の大型化が進み、全長150m以下の輸送船ではわずかな攻撃機しか搭載できず、しかも搭載機の回収も困難で、対潜戦力としては不充分なものだと判断されたのです。また、正規空母の就航は昭和18年(1943)以降極端に減るため、これらを割いて船団護衛にあてることは不可能でした。難題をかかえた艦政本部は既存の優秀客船や大型タンカーの改造で対応しようとしましたが、客船はそれぞれ艤装が異なり工事が複雑で量産に適さないし、数が揃わない。そのような時、軽質油輸送艦“足摺”型が上甲板も平面であり、格納庫にするには最も適しており、“足摺”を基本に簡易空母を建造することがベストとの結論になりました。足摺型は三菱長崎で建造されたので同所に全長を延長し、本部の基本要求を満たすよう改修設計を命じました。曰く、船体の大型化、全長160mを確保、カ号改観測機、3式指揮連絡機、対潜哨戒機“東海改”(エンジン外側で折たたみ可能・横幅6m・性能別項)及び97艦攻、流星艦攻までの発艦が可能なこと。無論各搭載機は“改”の名の通りカタパルトからの発艦が可能なように改修・改善されています。カタパルトも従来型の30m型と新たに41m型が用意されました。“東海”の搭載を予定したからです。その意味では現代の護衛艦“いずも・かが”のような基本性能を秘めていました。
艦名は正規空母ではありませんが旧国名になっております。ただし、艦船の建造に携わっている造船所付近の地名を優先しています。当初は昭和期の都市名という案もあったのですがこれは見送られました。日本人は自分の住んでいる街が沈没すること由としないようです。でも米は平気でサンフランシスコなんてつけてます、国民性の違いそのものですね。なお本級は大戦後期には正規空母の補助として艦載機の補給用に使用され、機動部隊後方で行動を共にしました。この点は米の“サンガモン・コメンストベイ”等と同様の使われ方です。
備砲は対空戦を想定し戊式40㎜機関砲のみを搭載しました。レーダーは正規空母並に4号対艦、5号対空×2、6号高度測定と全てを搭載し、射撃指揮装置はレーダー照準連動の8号を装備しました。各艦は主に民間造船所で建造されましたが、これはこの後に続く、貨物船改造の護衛空母建造と造修技術を養う目的があったからです。カタパルトは艦載機の大型化に伴って大鳳級や伊吹級の正規空母より外された初期型のカタパルト(30m・独から運んできたものの改良型)と大型機用(41m)をそれぞれ1基ずつ計2基装備しています。エレベーターも隼鷹などと同じ14m×13mのものを2基装備しました。
陸軍の空母“あきつ丸”を上空から撮った写真を見ると飛行甲板の最後部に双発の飛行機を見ることができます。私にはどう観ても“対潜哨戒機東海”に見えるのです。それがヒントでして対潜行動の時はこの機を載せようと思ったのです。東海をもっと詳しく調査すると事実、陸軍はこの機体で対潜哨戒を始めていたのです。東海には三式空六号無線機(日本最初の航空機搭載レーダー・略H-6・実史昭和18年(1943)採用)と三式一号磁気探知機(略KMX)の2種類の探知機器を装備して、航行中はもとより、潜航中の潜水艦まで探知できる機器を装備しました。大戦後期に九州飛行機が製作した傑作機です。しかし、残念ながらこれも2年配備が遅かった。それで、これも昭和17年6月からに繰り上げます。東海は3機又は6機一組で艦の進行方向に対してリボンを描くように飛び、“感”があった場合はマーカーが自動的に投下され対潜爆弾で攻撃するという機体です。九州の佐伯航空隊で隊員の訓練を行い、本州、済州島、台湾、などに実戦配備されました。本稿では台湾及びフィリピン、済州島、東京に各500機ほど配備されておりその海域の潜水艦狩りを担当しております。無論、烈風や紫電改あるいは疾風の護衛が付いたことは言うまでもありません。
※東海改 諸元
全幅16m(翼端から4.4mで折りたたみ可)全長12m 全高4.118m 全備重量4.75㌧
発動機日立“天風”三一型610馬力×2基 速度332㎞ 巡行222㎞ 航続距離2515㎞
武装20㎜機銃2基 爆弾250kg対潜用×2発 乗員3名
カ号観測機及び3式指揮連絡機については護衛空母の項にて解説します。
ただ、グラマンやコルセア相手ですから東海も含めて長期間の運用は難しいでしょう。早い速度と遅い対潜時の速度が要求されるわけですから・・・。
本級も先に発表した重巡“雲仙”と同じく、艦橋を設けなければ、日本の改造空母になるのですが極力簡単な“鳳翔”みたいな艦橋を載せただけで米海軍のそれと似てしまうのです。困りましたが治しようがありません。舷外電路を思い切りはわしてみました。甲板下をサンドイッチ構造にして各種施設を設ければ同じようになることが分かりました。ましてや、40㎜ボフォース機関砲をドイツから輸入したわけですから・・・。