ご挨拶
これから第四刊を始めます。子供の時はボール紙に軍艦を描いてはそれを切り抜き裏に艦名を書き一隻ずつ筆箱にしまい、家に持って帰り遊んでいました。無論、建造所は学校でしかも授業中でした。先生も呆れて始めは注意されましたが終いには今日は何隻できた?等と声をかけるようになってしまいました。父母面接で(昔は父兄会と呼びました。)「水谷君は一生懸命軍艦を描いていますよ」と言われる始末。でもその時も自分で考えた軍艦でした。小学校4年生でした。世界の艦船が昭和33年発売されましたが父親に買ってもらう以外入手経路は無くなかなか全号見ることが出来ませんでした。でもなんだか知らないけど世界の艦船は手元にありました。57,8年前の話です。
改めて自己紹介をします。私は水谷健一郎といいます。今年67歳になる男で小さい会社をやっており、時間を作ってはこの仮想艦隊の艦艇を描いています。何とか子供の頃に想った軍艦達をこの世に発表したかったからです。
個人的なことをお知らせすると先日、日本における艦船模型史のレジェンド泉アソシエーツの主幹、泉江三氏と久しぶりにメールのやり取りをし、先生からこの稿に対するお褒めの言葉を頂いたことを報告いたします。先生は今病魔と闘っていらしてキーボード叩くのも大変なのに何度も打ち直して現況を伝えてくれました。治療方法すら判っていない難病との闘いであることが判りましたが、先生も本物の“船キチ”で軍艦の話になると元気が出るようです。
中学1年12歳の時に泉アソシエーツに入会しましたのでもう55年間、泉先生とお付き合い頂いているわけです。あの頃はまだ木の模型が主流で本物の海軍の軍艦図面を泉先生から見せていただいた時の感動は忘れられません。私がこの仮想艦隊を図面で描き始めたのもその時の感動に起因しているのかもしれません。
仮想戦記小説に登場する軍艦を紹介しようとこの項を書き始めたのですが、何時の間にやら私製軍艦物語になってしまいました。これから、今まで描いた軍艦を三次元化したい、そうすると模型化も可能か?あるいはペン画にしたい、絵にしたいなど妄想は広がるばかりで限がありません。5,500トン級の軽巡洋艦の近代化もまだ手を付けていませんし、水中高速伊号潜水艦も建造したい、潜水母艦、タンカー、等も手つかずのままです。一つ一つこなしていくつもりです。これからもお付合い下さい。
戦記小説の方もまた皆さん頑張り始めて、海戦の場がサモア・フィジーに移ってきましたね。羅門祐人氏と中岡純一郎氏の“大東亜大戦記”は本当に勝つならこの地域での戦いの帰趨を書いて欲しいと思っていた私への回答を頂いたようで嬉しかったです。いつまでも、ソロモン辺りで戦っていては勝てるものも勝てなくなると思います。処で、ハワイより東はアメリカ本土まで地図に載せる程の島がありません。今更なのですが世界地図を見ていてアメリカ本土は難攻不落を絵にかいたような国であることを実感しました。本稿での帝国は、資源と財政については米国の50%程の国力とほぼ同等の技術があることを前提としています。これらの前提は第三刊より以前に記していますので、お読みになって下さい。じゃあ始めましょう。第四刊は久々に戦艦の登場です。