49.付録“ビスマルク海海戦・別働隊編制図”
         (ヴィラ・スターモア海戦・米側呼称)

  以前18秋月型の項で筆者は島風型や改秋月型が機動部隊の中心である正規空母“上総”や潜水母艦や工作艦から改造された“天城”型空母を護衛する姿を想像しては悦に入っていると書きました。今回はこの想像を一歩進めてこれを図示できないかとアートディレクターの西田氏に相談したのです。彼は筆者が何を言い出すか不安気でしたが、私の求めに応じて今まで描いた各艦を一隻一隻画面上に写してくれました。これで出来上がったものが今回の付録です。    前項“48防空巡洋艦十勝”の処でビスマルク海海戦に少し触れましたが、この海戦は帝国海軍駆逐艦の防空能力が全く役に立たなかったことを証明してしまった戦いだったのです。実史では昭和17年末、日本はポートモレスビー攻略を企図し、陸路スタンレー山脈を越えるというでたらめな作戦計画を決行してしまいました。補給計画もろくに立てずに実行したこの作戦は案の定失敗し、陸軍は麓のブナとギルワに退却。ここでも武器・物資が不足し抵抗も出来ず結局全滅してしまいます。この為ニューギニア東部のラエに物資を運び、ここを起点に反撃体制を作るべく、輸送船・信愛丸・建武丸・旭盛丸・大井川丸・太明丸・タンカー帝洋丸・愛洋丸・野島など8隻で船団を組み、駆逐艦朝潮・荒潮・朝雲・白雲・時津風・雪風・敷波・浦波8隻が護衛にあたるという大作戦を挙行することになったのです。

 しかし結果はA26やB-25のスキップ爆撃で駆逐艦は半数の4隻が撃沈され、輸送船に至っては8隻全てが撃沈されました。当時の駆逐艦の主砲が防空用ではなかったことは皆様もご存知だと思います。でもこの結果は当然予想されることですし、反攻の拠点造りをする作戦であるなら何か他の手段はなかったのでしょうか!照月は既に沈没していましたが涼月、初月くらいは付けてやっても良かったのでは?可哀そうですよね。
 でも本稿では違います。全く別の海軍と陸軍が活躍いたします。ラエ上陸を掲げた本隊は、輸送船団とともに横須賀型護衛空母5隻(横須賀・長崎・大阪・神戸・舞鶴)が対空防御に就き、海防艦一六型、零五型各々8隻、夕雲型駆逐艦4隻が外枠の防御にあたっています。更に阿賀野型防空巡洋艦阿賀野、夷隅、錦が加わり、戦艦信濃・紀伊が参加しました。司令は戦艦信濃です。輸送船は実史では沈没した前記8隻の他、タンカー速吸・真鶴。攻撃輸送艦神川丸・浅香丸・吾妻丸・聖川丸・宏川丸。攻撃貨物輸送艦金華山丸・丹沢丸・東海丸・甲州丸・関東丸。陸軍から揚陸艦神州丸・八洲丸・敷島丸・扶桑丸が参加、合計24隻という布陣になりました。


正規空母: 祥鳳・龍鳳… 満載排水量42,025㌧ 270m 搭載機84

巡洋戦艦: 瑞穂・秋津島…満載排水量36,000  256.5m 36cm9

防空軽巡 九頭竜・四万十…満載排水量
14,900㌧ 194.7m 高角砲24

駆逐艦  潮・夏潮・夕潮・早潮・巻潮・・・排水
2,350㌧ 121.5m
      島風・神風        ・・・排水量2,600㌧ 129.5m
      高月・山月(秋月型)   ・・・排水量2,750㌧ 134.2m
      巻雲・夕雲(夕雲型)   ・・・排水量2,100㌧ 118.0

図を説明します。左側の2艦は下が夕雲、上が巻潮です。これから時計回りに巡戦 秋津島・早潮・夏潮・軽巡九頭竜・島風・神風・巡戦瑞穂。先頭が巻雲。更に時計回りで夕潮・潮・軽巡四万十・高月・山月。一番先頭の潜水艦は前哨艦で伊-7・8・9・10となっております。真ん中の空母は進行方向右が龍鳳、次が祥鳳です。艦名は下に記載しました。
 如何でしょう?こんな機動部隊を一度見てみたかった・・・。私は・・・。 DWGボタンをクリックして全貌を見て下さい。

機動部隊の兵力からみますと
  搭載機:紫電改   × 48機(96機) 
      流星・天山 × 36機(72機)  計168機 
  (火器)98式10.5cm両用砲186門
      戊式40mm 機関砲288門
      25mm 3連装機銃 369門以上
  その他 15cm9連装噴進弾44基
      …今回は水中に打ち込み雷撃機の前に巨大な波のカーテンを張るという攻撃方法をとります。
となります。重火器である98式10.5連装両用砲186門が8,000m以上の高空域を担当し、3,000~6,000mの中間域には288門の40mm機関砲が、それより近接した場合は370~450門の25mm機銃が迎撃することになります。無論、10.5cm両用砲と40mm砲の弾丸は磁気感知式弾でその方式は米のVT信管とほぼ同様です。射程19,700m、射高14,700mの性能を誇り、実史でもB-17を撃墜したことがある10.5cm両用砲は米海軍の5吋38口径より威力を発揮し、今回飛来したA26やB-25は空中でもかなりの損害を出しました。また、40mm機関砲は、爆撃や雷撃体制に入る3,000~5,000 mの空域で威力を発揮し、反跳爆撃体制に入ったとたん撃墜される機が多かったと聞きます。ビスマルク海海戦は昭和18年3月2日に始まり、別働隊である本隊へはA26とB-25が20機ずつ2隊で波状攻撃をかけてきましたが、襲撃前に紫電改60機がその20mm機銃で半数を撃墜し、この攻撃を抜けてきた機も40mm弾の破裂により更に半数が、最後は25mm機銃が爆撃を阻止しました。更に攻撃機を護衛してきたグラマンF4Fも23/48機が撃墜されました。またポートモレスビーには本隊の護衛空母の艦戦・艦攻・艦爆と別動隊の紫電改、天山・流星改計96機が爆撃を敢行し、航空基地3箇所を撃破しました。以上の結果、陸軍18師団と51師団は物資と共に無事にラエへの上陸に成功し、ニューギニア東部へ再び圧力を加えることとなりました。ブナ奪回が次のテーマとなります。

【図について】
今回描きました別働隊の編制図をご覧ください。大きくしたり、小さくしたりして遊んでください。艦が5~6cm位に見えると高度3000m位からの俯瞰になります。
本隊を描きたかったのですが輸送艦と護衛空母ばかりなので興味が薄れました。別動隊であるこの部隊はポートモレスビーからの航空攻撃を想定し、ラバウルを東回りに出発した部隊ですが、ポートモレスビーより出撃したA26やB-25を輸送船のいる本隊に到達する前に撃滅する前哨攻撃隊でもありました。それにしても本稿のように夕雲級や朝潮級に一刻も早く98式を載せればよかったんですね・・・。今回もまた皆様の閲覧回数に刺激されました。ありがとうございます。