47.軽巡筑後型改Ⅱ 物部(ものべ)

原型昭和16年起工(1941)
1   筑後(ちくご) 昭和19年01月03日 (1944) 室蘭工廠
2   三隈Ⅱ(みくま) 昭和19年01月03日 (1944) 室蘭工廠
                                                                             ※予定艦名那賀より改名
3   日高(ひだか) 昭和19年02月05日 (1944) 室蘭工廠
4   小矢部(おやべ) 昭和19年02月05日 (1944) 鶴見造船所
5   久慈(くじ) 昭和19年02月10日 (1944) 室蘭工廠
6   梓(あずさ) 昭和19年06月10日 (1944) 鶴見造船所
           
改Ⅱ型(詳細後述予定)昭和16年(1941~42起工)
7   大野(おおの) 昭和19年07月12日 (1944) 鶴見造船所
8   五ヶ瀬(ごかせ) 昭和19年07月22日 (1944) 室蘭工廠
9   物部(ものべ) 昭和19年08月01日 (1944) 舞鶴工廠
10   須賀(すが) 昭和19年08月10日 (1944) 鶴見造船所
11   神通Ⅱ(じんつう) 昭和19年09月05日 (1944) 室蘭工廠
12   番匠(ばんしょう) 昭和19年09月10日 (1944) 鶴見造船所
13   吉井(よしい) 昭和19年10月05日 (1944) 室蘭工廠
14   淀(よど) 昭和19年11月08日 (1944) 鶴見造船所
15   狩野(かの) 昭和19年12月05日 (1944) 室蘭工廠
           
改Ⅲ型(詳細後述予定)(1942起工)
16   天龍Ⅱ(てんりゅう) 昭和20年01月10日 (1945) 佐世保工廠
17   由良Ⅱ(ゆら) 昭和20年01月19日 (1945) 鶴見造船所
18   川内Ⅱ(せんだい) 昭和20年02月06日 (1945) 室蘭工廠
19   加古Ⅱ(かこ) 昭和20年02月14日 (1945) 佐世保工廠
20   夕張Ⅱ(ゆうばり) 昭和20年02月24日 (1945) 室蘭工廠
                                                                                          ※古鷹より改名
21   龍田(たつた) 昭和19年11月01日 中止 鶴見造船所
         C-55022(平戸.ひらど) 同上  
         C-55023(名取.なとり) 同上  
         C-55024(高砂.たかさご) 同上  
         C-55025 ~ C-55050 未起工  



  前回改Ⅱ型以降は後述すると言ったきりになっていましたので今回はその続きです。軽巡筑後型の建造経緯は3刊で記しましたが改めて以下に7番艦~15番艦までの艦名と建造所を示します。  

7   大野(おおの) 昭和19年07月12日 (1944) 鶴見造船所
8   五ヶ瀬(ごかせ) 昭和19年07月22日 (1944) 室蘭工廠
9   物部(ものべ) 昭和19年08月01日 (1944) 舞鶴工廠
10   須賀(すが) 昭和19年08月10日 (1944) 鶴見造船所
11   神通Ⅱ(じんつう) 昭和19年09月05日 (1944) 室蘭工廠
12   番匠(ばんしょう) 昭和19年09月10日 (1944) 鶴見造船所
13   吉井(よしい) 昭和19年10月05日 (1944) 室蘭工廠
14   淀(よど) 昭和19年11月08日 (1944) 鶴見造船所
15   狩野(かの) 昭和19年12月05日 (1944) 室蘭工廠

【要目】
      
基準排水量11,500    満載排水量14,000    全長190.0m     全幅19.97m  吃水7.5
      艦本式蒸気タービン
10万馬力 33ノット  航続距離15ノットにて11,000浬  乗員1,032

【兵装】
      
60口径15.5cm3連装×4基   65口径10cm連装高角砲(両用型)6基  
      40mm連装機関砲×15基(30門)  25mm3連装機銃×6
    搭載機×2機  装甲:舷側127㎜ 防御甲板127㎜ 砲塔前部155

  以上が軽巡筑後改Ⅱ型9隻です。室蘭工廠と鶴見造船所が本格稼働するようになり、1番艦筑後から20番艦夕張まで全ての同型艦がこの2か所で集中的に建造されています。工員の技量も向上しており素晴らしい軽巡が月に2隻ずつ竣工しております。こんなシーンを本当に見てみたいものです。
  ところで世界の艦船“米巡洋艦史”の中でクリーブランド級軽巡洋艦が40度近く傾いている怖い写真がありますが、1万トン級の船があれだけ傾くのは異常ですし、台風に遭遇し空のオイルタンクに水を入れなかった為転覆した米駆逐艦もあったと聞きました。日本海軍は友鶴事件、第四艦隊事件で艦の復元性や重心下げは経験しておりましたが、それでも機関砲の増設や射撃指揮装置の装備により次第に重心が上がっており、これの対策は重大な問題になってきました。軽巡筑後型改Ⅱはこの対策を施した最初の巡洋艦になったわけです。用兵側の要請で40㎜機関砲の増設、計画設計時にはなかった射撃指揮装置などを搭載して竣工したことが原因でした。巡洋艦は船体も大きくこの要求に応じることが出来ましたが重心の上昇という結果をまねいてしまった訳です。米海軍がクリーブランド級からファーゴ級に建造計画を修正したことと同じですが、米海軍ほどの大改修ではありません。5番艦久慈から6番艦梓まで4か月間竣工がなかったのはこの時期に改修していたからです。

  本級の重心低下対策は後部艦橋を一層減らすことから始まりました。更に後部の射撃指揮装置も94式から98式に交換しました。これは98式が優秀で94式の代わりに使用出来たからです。また、2番.3番主砲塔を30㎝下げ、同時に1番と4番の10㎝連装高角砲も600mm下げ、高角砲の廻りの構造物を撤去しました。後部のクレーンも軽量化したものに替えております。
  このクラスは米巡洋艦に似ていると思っていたのですが後部艦橋を低くすることで日本の巡洋艦らしいシルエットになりました。また、艦首のブルワークを長くして凌波性を向上させています。



  本級は巡洋艦として汎用性が高く、所属部隊からも高い評価を受けました。そのため、早期配属を望む声が多く、竣工すれば就役訓練もそこそこに各隊に配属される程でした。それまで軽巡といえば5,500㌧型だったのですが、この軽巡はもともと水雷戦のために建造されたもので、機動部隊の防空任務には不向きだったのです。巡洋艦としては船型も小型だったのですが…。筑後型は十分な対空装備をしておりましたのでこれに見事に答えました。対空巡洋艦としてこれまでに阿賀野型、大淀型、十勝型と3代に渡って防空タイプの巡洋艦を建造しましたがやっとバランスのとれた汎用型の巡洋艦が完成したわけです。

  計画時は15.5cm砲9門の軽々巡だったのですが、最上級の5基15門に比べてあまりにも装備が貧弱という意見も多く、一方米国の軽巡洋艦が15.2㎝4~5基を搭載予定との情報が寄せられたため主砲を1基増設し4基搭載することになりました。この砲は迎角55度で対空射撃も出来るなど、優秀との評価を受けていましたが、砲塔に弱点があり、その対策として前面に155㎜、天蓋も76㎜の装甲を施しました。基準排水量1万トンを超える軽巡洋艦“筑後”型の就役は昭和19年からの攻勢に多大な貢献をしました。その活躍は追って報告します。結局、軽巡でも汎用性を持たせると1万㌧という大きさが必要だったわけです。改Ⅲ型についても追って相違点を発表します。もう少し時間を下さい。