43.総括 “阿賀野型防空巡洋艦” 昭和19年(1944)1月

  (第一期艦)
   阿賀野 (あがの)佐世保工廠  昭和15年(1940) 0309
   能代   (のしろ)横須賀工廠    〃         0411日 

  (第二期艦)
   矢矧  (やはぎ)佐世保工廠  昭和15年(1940) 0918
   酒匂  (さかわ)佐世保工廠    〃         1002

  (第三期艦)
   平戸  (ひらど)横須賀工廠  昭和16年(1941)   0111
   千種  (ちぐさ)室蘭 工廠     〃         0207
   夷隅  (いすみ)大連 工廠    〃          0213
   鶴見  (つるみ)室蘭 工廠    〃          0303
   遠賀  (おんが)大連 工廠  昭和17年(1942)    0120
   錦     (にしき)室蘭 工廠     〃        0120

   【要目】
   基準排水量7,850㌧     (第二期艦 7,950㌧、 第三期艦 8,200㌧)
   満載排水量8,500㌧     (第二期艦 9,050㌧、 第三期艦 9,260)
   全長174.5m   
   全幅15.8m           (第二期艦 17.2バルジ装着、 第三期艦 17.56
   吃水5.85.9 m         機関艦本式タービン4基 
   ボイラー呂号艦本式缶4基   出力101,400馬力 
   速力34㌩             (第一期艦のみ35.56)
   航続距離18㌩にて6,000浬  重油搭載量1,420

  【兵装】
   96式(98式)65口径10.5cm連装高角砲×918門 (第一期は8基)
   戊式40mm連装機関砲×9基(18門) (第一期は10基)
   25mm3連装機関銃×2基 (第一期は4基)
   同単装機関銃×24

 本級もこのシリーズ3回目の登場で昭和19年初頭から19年末までの姿を描いてみました。前にも話しましたがいじれる艦としてこれ以上適した艦はこのクラスと大淀級しかありませんので何度も登場してもらいます。以前からマストの低さが気になっていまして、「これではレーダーが干渉してしまうな」などと考えていました。そこで今回整理の意味で再々登場した訳です。
 このクラスは昭和12年・13年計画によるものです。それまでの漸減作戦を止め、空母機動部隊を活用してラバウル、ニューギニア方面を占領し、更にソロモン・珊瑚海方面にまで占領地域を拡大して、それらの島嶼基地からも航空攻撃を行うという作戦になりました。つまり阿賀野級は防空専用艦であり、機動部隊の防空指揮艦として整備されたのです。
 処で米海軍もまたハワイ真珠湾攻撃で主力艦を殲滅されたため、空母による航空力主体の機動部隊を活用する東進作戦にシフトを替えました。米海軍のすごいのはそれ以前に空母を防御すると言うことのために1938年、40年計画でオマハ級代替巡洋艦としてアトランタ級防空巡洋艦の整備を開始しています。 
 どちらのクラスも水雷戦隊の旗艦として建造されたのにその目的には使われず、全く別の任務を与えられることになったわけです。この辺りがいろいろ調べていく時の面白さですね。日本海軍ではこれに相当する艦が秋月級の駆逐艦になるわけです。でも、それでは阿賀野型がかわいそうじゃないですか?何にもすることが無い艦として生まれてしまったわけですから・・・。でこの艦になるわけです。思い切って10隻も造り、更に内田弘樹氏の著書“砲煙の巨竜”で活躍する“十勝”級へと続くことになります。



 図は“阿賀野級”の原型です。ご覧の通り、デザインは素晴らしいのですが兵装は時代に合っておりません。15cm砲も金剛級戦艦から外したビッカース社のものを連装にしてごく簡単な砲塔で囲んだだけです。61cm魚雷発射管も2基搭載しております。この艦が水雷戦隊旗艦であり敵艦隊に対して61cm魚雷を発射するという想定の基に作られたことを物語っています。アトランタ級も発射管を積んでいますからどちらも計画時とは違った役割に着いたことがわかります。唯一の新兵器は60口径8cm連装高角砲ですが、戦闘に出た時にこれでは用が足らず10cmへの交換を要求されたとの話も読みました。



 図2は15cm砲を撤去し96式(98式)65口径10cm連装高角砲を主砲とした防空巡洋艦阿賀野、能代です。懸案だったマストは高いものに換装して、水平レーダー、対空レーダーを装備し、その性能が充分生かされるようになりました。バランスも良く真珠湾攻撃からミッドウエー海戦まで機動部隊の防空部隊旗艦として活躍している姿です。舷側の砲も10cm高角砲になり、40mm機関砲とともに高中空域の防空が充実しました。速力は公試で36ノットを記録しました。しかし、用兵側は魚雷攻撃を阻みたいとの要求が強く、艦隊から離れた空域での防空に対応することになり、もう一基高角砲を搭載することになりました。



 前方艦首側の砲力強化のため40mm連装機関砲を外し、65口径10cm高角砲を一基増設しました。しかし、これでは重心が高くなるので搭載した高角砲の位置を52cm程下げました。更に6m測距儀も重量削減の為それのみ外し、幅を確保するためバルジを装着した姿です。バルジの装着により幅が15.8mから17.2mに増えています。これらの措置により安定性は確保されましたが排水量は増してしまい、速力も34㌩に低下しましたが機動部隊での行動には何ら支障はなかったと言います。マストは全艦共通で重巡妙高の改造後のものを採用しました。しかし、やはり重心の高さは問題として抱えており、相模・千種・夷隅・鶴見の4艦では更に重心を下げる必要に迫られました。


 2016年11月に発行された「世界の艦船・アメリカ巡洋艦史」に掲載されているサンタフェ(クリーブランド級)が台風に遭遇している写真は40度以上傾いており、兵装・機器の増設による重量増加の結果、大型艦がこのように傾くことの証拠写真です。私も昔ヨットに乗り傾きには慣れていましたが、40度というと“沈”寸前ですし、かなり怖いです。米海軍が重心上昇対策としてクリーブランド級からファーゴ級への移行、ボルチモア級からオレゴンシティー級への移行を考えたのも当然と言えます。現に駆逐艦は転覆したわけですから・・・。 
 上記の4艦につては3番砲に続いて2番砲も装備位置を下げています。更に6m測距儀を付帯設備ごとはずし、艦橋下部にそのスペースを確保しました。また、後部艦橋、射撃指揮装置も低くなり重心についてはこれで解決いたしました。幅は17.56mに増加しています。その結果速力は33㌩になりましたが戦闘行動に問題はありませんでした。
 最後にライバルになったアトランタ級と阿賀野級の簡単な比較図を提示します。





 このクラスの最終艦2隻の姿です。艦橋基部が更に拡大されました。更に後部の艦橋は簡易なものに替え、射撃指揮装置も低い位置になり重心を下げています。大連と室蘭工廠が完成を競っていましたが、期せずして同日の完成になったわけです。

【ある物語】
  昭和18年11月、防空巡洋艦遠賀、錦は海上護衛総隊に一時在籍し、佐世保級護衛空母鎌倉(三光造船17年3・6竣工)、倉敷と共に輸送船団の護衛任務に就いていた。日本から小笠原・トラックを経由してラバウルに寄港、ガダルカナルに到着する航路である。船団はトラック北方でB-17爆撃機48機による攻撃を受けたが、搭載している紫電改により反撃に転じるとともに上空に到達した編隊に対しては9基18門の65口径連装高角砲が対空戦闘を開始、7機を撃墜した。まさに本級の性能を遺憾なく発揮した戦果といえる。更に途中トラック、ラバウル間で米潜水艦3隻の攻撃を受けたが海防艦の連携攻撃により2隻に損害を与え、1隻を空母鎌倉から発進した艦載型対潜哨戒機“東海”の磁気探知機で発見これを撃沈した。負傷した前記2隻の潜水艦もその後2日間にわたる追跡の末、1隻は操縦不能の状態に陥り圧潰音を最後に消え、もう1隻は潜水が不可能になり降伏勧告し拿捕した。ただちに海防艦の曳航によりラバウルまで運ばれ電子兵器の検証・調査が行われた。遠賀、錦の参加なしたこの船団は1隻の損失もなく無事ガダルカナルに到着しニューへブリディーズ作戦の準備に寄与すること大であった。

  前述した“世界の艦船”が11月に“米巡洋艦史”を発行しました。その中に折込で全艦種の艦型図が発表されています。作者の加川嬴介・小林義秀両氏が描かれたオレゴンシティーやファーゴの艦型は今までにないもので、両級のイメージを一新するものです。どのようにして前級のボルチモアやクリーブランドから重心を下げたかがよく分かり大変参考になりました。愛読者の一人として感謝します。