50.新鋭重巡洋艦“鞍馬(くらま)”級
1 | 鞍馬(くらま) | 昭和19年10月07日 | 竣工 | 呉工廠 | |
2 | 五龍(ごりゅう) | 昭和19年11月05日 | 竣工 | 横須賀工廠 | |
3 | 皇海(すかい) | 昭和19年11月23日 | 竣工 | 神戸川崎 | |
※群馬・栃木県境の山 | |||||
4 | 剱 (つるぎ) | 昭和19年12月08日 | 竣工 | 佐世保工廠 | |
5 | 黒姫(くろひめ) | 昭和19年12月12日 | 竣工 | 三菱長崎 | |
6 | 月山(がっさん) | 昭和20年03月30日 | 建造中止 | 舞鶴工廠 | |
※船体・上構完成 | |||||
7 | 白山(はくさん) | 昭和19年09月30日 | 建造中止 | 呉工廠 | |
※船体完成 | |||||
8 | 大雪(だいせつ) | 昭和19年09月30日 | 建造中止 | 横須賀工廠 | |
※船体完成 | |||||
9 | 御岳(みたけ) | 昭和18年04月30日 | 建造中止解体 | 佐世保工廠 |
【要目】
基準排水量 17,120㌧ 満載排水量20,560㌧ 全長:215.8m 最大幅23.1m 吃水7.4m
機関:艦本式タービン4基4軸 140,000馬力・シフト配置
速力33㌩以上 航続距離15㌩にて11,000km
呉式射出機 × 2基 乗員1,870名
【兵装】
2式20.3㎝3連装自動砲(10発/分/1門)× 3基 98式65口径10.5㎝連装高角砲 × 6基
40㎜連装機関砲 × 16基 25㎜3連装機銃 × 8基
上記2種類の高角機銃は後日かっこ内の砲に換装予定(17式8㎝(7.6)連装速射砲 × 10基)後日装備
【装甲】
舷側105㎜~155㎜ 甲板76㎜ 砲塔前面203㎜ 天蓋102mm
側壁38~83㎜ 司令塔203㎜
1942年(昭和17年)合衆国海軍がボルチモア級を改良した新型重巡を予算化したとの情報が帝國海軍に寄せられた。しかし艦政本部はこれが後のオレゴンシティ級なのかより新型のデ・モイン級かの判断がつかなかった。同級14隻以上が建造されると言うこの情報は海軍にとって脅威以外の何者でもなかった。
艦政本部は昭和14年(1939)より開戦後を予測し、新型の3連装中間砲を開発製造するとともに発射速度を速めた機関砲化を検討していた。前者は昭和16年12月から就役した重巡浅間級、同じく昭和18年1月から就役した重巡雲仙級に搭載された砲で、米海軍のMK15に(ボルチモア級搭載砲)相当するもので発射速度は毎分3から4発であった。
サボ島沖海戦(昭和17年10月11日・1942)を解析した結果、短時間・大量砲撃が今次の海戦では有効との結論を得たが、従来の20.3cm砲ではこれに応ずることが出来なかった。それはケース入り装薬が実用に至っていなかったためである。昭和18年4月(1943)ケース入り装薬の開発に目途が付いたため、20.3㎝の3連装自動速射砲を急遽開発・製造することとなった。これが後者の機関砲型中間砲であり、この砲を搭載する艦が最後の重巡“鞍馬”級である。砲は昭和18年10月に完成した。射程は23,000m弱、砲弾重量140kg、発射速度7~10発/分というもので排水量はデ・モイン級とほぼ同サイズとなった。究極の重巡洋艦は17,000㌧~19,000㌧ぐらいの排水量になるらしい。
昭和17年11月30日(1942)ルンガ沖海戦が生起し、重巡“六甲”及び“開聞”及び第2水雷戦隊駆逐艦8隻はガダルカナルへの物資輸送任務の途中合衆国巡洋艦部隊の待ち伏せにあい“高波”が撃沈されるも雷撃を敢行、ノーザンプトンを撃沈、ニューオルリンズ・ミネアポリスは雷撃により艦首を失う被害を受け、漂流する事態となった。“六甲”“開聞”は、損害艦のミネアポリスを鹵獲することとし、これに成功。シンガポールを経て呉に送還した。これにより、同時期の合衆国のレーダー・射撃指揮装置などの解析また両者の連動技術を目の当たりに検分することが出来た。これらの技術はただちに艦政本部の研究課題となり後の電探関連機器の開発に貢献することになった。重巡“鞍馬”の射撃指揮装置などもこれらの新技術を入れ、格段と進歩したものになっている。この為新20.3㎝速射砲には砲側測距儀は装備されなかった。
重巡“鞍馬”級は12隻が計画され、9隻が起工され5番艦“黒姫”までが完成した。月山、白山、大雪は船体が完成目前だったので工事を続行し進水させたが、その時点で防錆塗装のまま繋留された。本級は戦後も戦艦に代り、部隊の旗艦任務を務めるなど様々な改造改修を受けながら1985年まで艦隊の中心を務めた。未成艦もその後各種の用途に沿って完成した。
今まで本稿では重巡浅間級(12,600/15,700㌧昭和16年12月~昭和18年1月)、雲仙級(14,300/17,000㌧昭和18年1月~昭和19年9月)等計22隻の重巡を建造してきました。元々旧海軍の18隻の重巡にこの数字を加えると40隻になります。無論戦沈艦も出ますからこれらが全艦揃っているわけではありません。この上重巡はあまり必要ないかとも思いましたが、年表に書いておりましたし、今後相当激しい海戦や航空戦が想定されますので、やはり“鞍馬”級も登場しないと合衆国の巨大な巡洋艦勢力に後れを取ることになりますので建造に踏み切りました。
米のデ・モイン級の同型のセーラムが今から55年前、私が小学校高学年の頃“シュペー号の最後”という映画でドイツ戦艦グラフシュペ―に扮し、通商破壊活動に従事し、イギリス巡洋艦アジャックス、アキレス、エグゼターの追撃を受け、中立国のウルグアイ、モンテビデオに入港。24時間後に自沈のため出港、艦長はシュペーの最後を確認して自殺する。-という映画がありました。イギリス巡洋艦も全て実艦で3本煙突の条約型重巡、エグゼターはリアンダー級の軽巡を使い、セーラムとイギリス巡洋艦見放題という映画でした。ネットで見たところ売っているのですね!米と英巡洋艦の波の切り方が随分違うのだなという感想を持ちました。この頃から“軍艦小僧”だった私はストーリーよりもセーラム(当時はサレムと呼んでいました)の斉射や英巡洋艦の船体の白さに夢中でした。ご覧になると面白いです。
世界の艦船の特集号“第2次大戦のアメリカ軍艦”や艦コレの太平洋戦史をみてルンガ沖海戦で米巡洋艦ミネアポリスとニューオルリンズの艦首喪失写真を発見。現場から8時間も逃げ切るなら指揮官田中少将のためにもこの艦を鹵獲するという発想になりました。実際鹵獲したらレーダーや射撃指揮装置の実物が手に入るわけで、こういったものを海賊のように奪うことはやって出来ないことはないと思ったのです。わざわざドイツまで潜水艦を派遣してレーダーを手に入れたのですから目の前にいる漂流艦を手に入れたとしてもおかしくないのでは・・・。仮想艦隊の世界での話です。