36.攻撃輸送艦 ”君川丸”型
1.神川丸(かみかわまる) 昭和12年(1938)03・15竣工 川崎造船所
2.君川丸(きみかわまる) 〃 07・15 〃 〃
3.聖川丸(きよかわまる) 〃 05・15 〃 〃
4.国川丸(くにかわまる) 〃 11・01 〃 〃
5.宏川丸(ひろかわまる) 〃 11・15 〃 〃
6.菊川丸(きくかわまる) 昭和13年(1939)01・15 〃 浦賀船渠
7.靖川丸(やすかわまる) 〃 02・23 〃 浦賀船渠
8.赤城丸(あかぎまる) 〃 03・12 〃 佐野安船渠
9.有馬丸(ありままる) 〃 04・21 〃 大阪鉄工
10.浅香丸(あさかまる) 〃 04・28 〃 日立桜島
11.吾妻丸(あずままる) 〃 05・08 〃 日立因島
12.粟田丸(あわたまる) 〃 06・11 〃 新潟鉄工
【要目】
基準排水量 6,863㌧ 満載排水 13,230㌧ 全長 146.16m 幅 19m
吃水 8.23m 主機ディーゼル 9,500馬力 速力 21.7㌩
【装備】
戊式40㎜連装機関砲×3基 25㎜3連装機銃×6基 9連装対潜噴進弾2基
大発D型×10隻(完全武装兵70名/隻・60馬力・速度8㌩・積載量11㌧・航続距離170浬)
※560名の大隊規模の兵・装備を1隻で上陸可能 10隻で師団規模の揚陸作戦が可能であった。
本艦は昭和12年に商船近代化策によって川崎汽船が建造した北米・欧州航路の貨客船である。竣工後それぞれの航路に就航したが、日米関係の緊迫化に伴って係船され、昭和16年7・6に海軍が徴用し水上機母艦となってアリューシャン方面をはじめに南方戦線各地で活躍した。君川丸は昭和18年には輸送船として運用されるのだが度々魚雷攻撃を受け命中するも、武運強く沈没を免れ19年10月まで南方との間の輸送任務を果たした。しかし、19年10月20日深夜バシー海峡にて雷撃され沈没した。
というのが実史での“君川丸”の活躍です。4回も雷撃を受けて沈まなかったというのは驚きですね。この幸運船は大切にしなければと前から思っていたのですが、今回私は彼女に攻撃輸送艦という役割を担ってもらうことにしました。攻撃輸送艦?聞きなれないでしょう。世界の艦船増刊号“第2次大戦のアメリカ軍艦”にはAPA-15ハスケル級ナパという攻撃輸送艦が載っています。以前からこうゆう艦船は上陸作戦には必要だと思っており、大きさも米海軍の攻撃貨物輸送艦アンドロメダ級やハスケル級とほぼ同じなので“君川丸”級には上陸作戦時に大発D型で上陸部隊の兵員輸送を行ってもらうことにしました。この任務にあたるのは川崎汽船の君川丸級だけではないのですが、この船を基準にして戦時標準船とし、全国の民間造船所で増産することになりました。揚陸強襲艦的な艦は“神州丸”級を挙げておりますが、“君川丸”級は神州丸の指揮のもとに上陸船団に加わる一員と考えて下さい。
実はこの刊では昭和16年5月に海上輸送総隊も発足しました。海上護衛総隊と同格の組織で、日本における海上ロジェスティックのすべてを担う日の丸商船隊の組織です。この部隊の司令官は堀悌吉中将(昭和9年10月予備役→昭和16年2月現役復帰)で、浦賀ドッグ顧問をしていたところ朋友山本五十六中将から輸送総隊の構想を聞き現役復帰、司令就任となったわけです。
この結果、陸海軍による民間輸送船の徴用は全て輸送総隊が行い、更に建造も輸送総隊が陸海軍に代って行うことになりました。つまり、軍艦ばかり造る組織からロジェスティック専門部隊を独立させたわけです。その際新規の設計ではなく昭和10年代に優秀船整備計画で建造した実績のある貨物船を簡易化し、多量に備えることにしたのです。これは同一船建造で行程に慣れることや機関の同型化によるコストダウン、維持整備、兵の教育の容易さ等に貢献しました。こうして戦前のあの優秀船達が20~30隻単位で建造されることになったわけです。私見ですが戦前の優秀商船は世界でも抜きん出て美しいと思っていますので、何とか登場させたかったという筆者の思惑ですが・・・。
今回の君川丸は攻撃輸送艦になりましたが、これから、タンカーや護衛空母、潜水母艦、戦車揚陸艦(SS艦)など様々な艦が登場します。それにしても陸軍は本当に作戦上特殊な船を考えるものでそれを実現する能力に改めて感服いたします。
・海上輸送総隊の指定した輸送船専門造船所。
大阪鉄工所
横浜ドック
播磨造船所
浅野造船所
函館船渠
三菱江南造船所
三光造船所(大阪)
日立因島造船所
日本鋼管鶴見造船所
名古屋造船所
尼崎造船所
東京造船
佐野安
川崎造船所