34.浅間型重巡 九重 1943年秋

 1.浅間(あさま)      横須賀  昭和16年(1941)     12.07竣工
 2.愛鷹(あしたか)  呉                  〃            12.10竣工
                                                           → 1航戦へ (赤城・加賀隊)
 3.六甲(ろっこう)     神戸川崎     〃           12.09竣工
 4.開門(かいもん)   三菱長崎         〃                 12.15竣工
                                                           → 2航戦へ (飛龍・蒼龍隊)
 5.大山(だいせん) 鶴見        昭和17年(1942)    03.15竣工
 6.九重(ここのえ)  横須賀        〃              04.10竣工
                                                           → 5航戦へ (翔鶴・瑞鶴隊)
 7.朝日(あさひ)     室蘭        〃              04.15竣工
 8.穂高(ほだか)      横須賀  昭和17年(1942)     05.05竣工
                                                           → 4航戦へ (龍驤・春日丸)
 ※ 4航戦は龍驤・春日丸から“大鳳”“瑞鳳”“阿蘇・天城”へ改組

 9.身延(みのぶ)     佐世保        〃            05.15竣工
10.吾妻(あずま)       神戸川崎      〃           07.18竣工
       → 
航戦へ (隼鷹・飛鷹から173月“祥鳳・龍鳳”と“笠置・伊吹へ改組)
         準鷹と飛鷹は10航戦へ

11.石鎚(いしづち)    大連        昭和18年(1943)       01.10竣工 → 6航戦へ
12.竜王(りゅうおう)   大連                   〃           01.10竣工 → 6航戦へ
 ※ 6航戦 “駿河”“葛城・生駒・妙義”で構成
   ※昭和18年(194311月からの米海軍反攻開始には全艦対応する。


要目

基準排水量14,300㌧→14,900㌧  満載排水量17,000㌧→18,360㌧  全長202m  全幅21.6m  吃水7.4m  12万馬力  速力33ノット
55口径20.3cm 3連装砲×3基  65口径10.5cm 連装高角砲×8基   40mm 連装機関砲×15基   25mm 3連装機銃×10基
装甲船体主要部 152mm  砲塔 対20cm砲弾  搭載機1機

重巡洋艦浅間級“九重”の1943年秋の状況を作図してみました。新造時から船体はゆとりを持って作られており、乙にすました“貴公子”というあだ名がついたスマートな艦でしたが、戦時下ではこれほど変わるのかという程たくましい姿に変貌しました。主な変化は後橋に集められた通信機器とそのために大型化した後部艦橋そのものです。また、竣工時に搭載していた40mm機関砲や25mm機銃も戦況に応じて配置換えを行い効率的な射界を確保しました。25mm機銃は搭載数を減らしています。
  同時に射撃指揮装置や8m測距儀などにもアンテナが装備され昼夜を問わず正確な攻撃が可能となりました。艦尾のクレーンは動力部分を交換し主砲発射時には後方に倒れるよう改修されました。クレーン脇の40mm機関砲は位置が窮屈になったため後部主砲の前に移設しました。これらの改修は1942~1943にかけて行われましたが、その際できるだけ機器の艤装を同じくして乗員の戸惑いを解消するようにしています。この艦の改造中に筆者は引越しすることになり新しい家に移ったのですが、全てが逆みたいな感覚になり住まいそのものより生活全体が変調し相当戸惑いました。乗組員も配置転換になった場合同じ感覚になるはずで、艦にとっては大変なマイナスだと判断しました。
  また、10cm高角砲(両用砲)は盾付き化を予定しておりましたが重量増になる点と発射速度28発/分にまで習熟した乗員からは射界が遮られるとの意見が多く見送られました。各装備の増加により速力の低下が懸念されましたが、レーダー機器の発達で不要になった光学機器等は陸揚げされ、基地舟艇も整備されたため搭載艇は不要になり、12m内火ランチ除いて他は陸揚げしています。後部の8m測距儀を撤去した艦もあります。

  浅間級のミッドウエーでの勇戦は第2刊でも述べましたが、このクラスは竣工後空母戦隊に2隻ずつ配備され対空火器の優秀性を遺憾なく発揮しました。浅間級各艦は昭和18年(1943)には大鳳・伊吹級でつくる各航空戦隊に所属し、機動部隊の中核になります。中には航空戦隊旗艦を務める艦も現れました。本クラスの配備先をトップに記しました。ご覧になってください。
  浅間級はこれからメラネシア方面のソロモン・ガダルカナル・珊瑚海方面をへてバヌアツのニューへブリディー諸島攻略、第2次ハワイ作戦に参加し、更に西海岸攻撃作戦を実施することになります。基地化されたのはラバウルとポートモレスビーです。つまり、ニューギニア島全体が兵站基地化したことになります。ここにいたるシーレーンの確保は700隻にのぼる海上護衛総隊があったからです。また2,500機を擁する20隊以上の航空戦隊は実史で散々手を焼いたポートモレスビーを海上からいとも簡単に攻撃し、陸奥、長門、伊勢・山城・扶桑の艦砲射撃後、改神州丸級強襲揚陸艦の強行上陸作戦によってわずか3日間で攻略されました。浅間級重巡も100門以上の20.3㎝砲で砲撃に加わりました。これで米豪分断作戦の第一歩が完成されました。あとは前述した作戦に移行するわけです。浅間級・雲仙級の重巡及び軽巡大淀級・筑後級が機動部隊を隙間なく護衛したことは言うまでもありません。余談ながら本級の艦隊編入が進んだ結果、加古級は海上護衛総隊に配属され護衛部隊は一層充実しました。