27.重巡 雲仙

  雲仙         呉工廠       昭和18120日 (1943年)
  大峰(おおみね) 三菱長崎      昭和18120日 (1943年)
  
白根         横須賀工廠   昭和18306日   〃
  赤石         神戸川崎     昭和18306日   〃
  白馬         佐世保工廠   昭和18308日   〃
  安曇(あずみ)   佐世保工廠   昭和18410日   〃

  岩木         舞鶴工廠     昭和19720日 (1944年)
  白神(しらがみ)    舞鶴工廠     昭和19830日   〃
  蔵王         舞鶴工廠     昭和19810日   〃
  栗駒(くりこま)      舞鶴工廠     昭和19910日   〃


   基準排水量
12,600㌧ 満載排水量15,700㌧ 全長198m 幅20.4 吃水7.1m 
  主機 : 艦本式ギアードタービン
12万馬力 速力33.5㌩ 燃料搭載量2550㌧ 航続距離15ノットで10,000浬  
  兵装
     55口径20.33連装×3基   65口径10.5㎝連装砲×6基(12門)
    戊式40㎜連装機関砲×13基  253連装機銃×10 
     水偵×2機  
  装甲  舷側155㎜  砲塔155㎜  防御甲板 76+50
  乗組員1500

 昭和15年初め、米国から新型重巡ボルチモア級概略図を入手した艦政本部は排水量15,000㌧ 全長約200m、 55口径20㎝3連装×3基 5吋砲×6基 30㎜又は40㎜機関砲10基 という巡洋艦を想定した。艦政本部としては軽巡大淀型を拡大した重巡浅間型を既に建造中であり、16年末には竣工が予定されていたため、この後に続く新型艦は艦隊指揮を強化し、防御力攻撃力を強化した航洋型の新型重巡の検討に入っていた。しかし、米海軍のこの計画を見て新型巡洋艦が“浅間型”とほぼ同様の艦であることが分かったため、現場の隻数を揃えたいという要望を優先することにした。
 
 この為18年末には就役するよう“浅間型”で不備のある部分を改良し、大量建造を優先するということで16年初頭には設計を終了し16年7月には起工した。但し、各工廠の船台は満杯状態のため、史上初めて大型ドック内で2隻まとめてという建造方式が採用された。舞鶴工廠で建造された19年度竣工艦がそれである。建造は様々な困難を克服した電気溶接が広範囲に採用されたため、起工から進水まで12カ月という艦まで現れ、25カ月で完成したものもあった。

 基本的な改良点は
 
①   65口径連装高角砲を全て砲塔式とした。
 ②   射撃指揮装置を採用し、測距、方位がレーダー波で測定可能になった。
 ③   搭載舟艇を後部のハンガー内に納め甲板部を広くした。
 ④   航海が長くなることを考え艦首の高さを45㎝高くした。
 ⑤   装甲は浅間級と同様であるが防御範囲を広げ強化した。
 ⑥   戊式40㎜機関砲を増設した。
 ⑦   マストを電探の探知範囲を確保するため高さを上げた。
 ⑧   舞鶴工廠の造船能力を大幅に増設した。

 さてやっと“雲仙”級を発表いたします。浅間級を書いた後直ぐこのクラスは作図に入ったのですがB-65がなぜか頭にこびりついてもっと大型の艦ばかり考えてしまい、シャルンホルストみたいな艦が出来てしまいました。これじゃ駄目だと思い縮小まで含めて考えてみたら、元の“浅間型”をもっとタイトにした艦に戻ってしまいました。世界の艦船増刊号“第2次大戦のアメリカ軍艦“の影響はものすごく大きく、射撃指揮装置がないといくらレーダーを装備しても意味がないことが分かり、急遽取り付けましたが段々米艦に似てくるのです。射撃指揮装置を装備する前は日本の軍艦だったのですが、機関砲管制装置をマットレス型にしたら余計似てしまいましたが、その内改良しますのでしばらく我慢して下さい。本艦より第三刊に入ります。また、色々な兵器を考えてみたいですし、創造力もあと一寸だけは残っているようなので今年も書き続けることをお約束いたします。しかし、正月休みも返上でした。でも、艦を考えている時は少年時代に戻ったようで楽しくて楽しくてしょうがない一時なのです。もう少しこの軍艦爺さんに付き合って下さい。