73.新型護衛艦建造
海軍は戦後護衛艦隊を解体し、海上の保安、海洋開発、海洋資源確保など新しい任務に旧海防艦を振分けた。海上警察である保安庁や気象庁、各種観測船、漁船などが躯体的な任務となった。そこで海軍は戦時に急造できる護衛艦を普段から設計して置きいざとなったら短期間に大量建造できるという方向を打ち出し、開発に取り掛かった。昭和29年より研究が開始され船団護衛用の安価な艦の模索が始まった。開発の方針は以下のようであった。・できるだけ安価なこと。
・短期間で建造が可能なこと。
・輸送船の護衛が第一目的。
・速力は23㌩が必要。
・兵器の構成替えが出来るゆとりを持つこと。
・対潜兵器はその時普及しているもの。
・1軸推進で可。
この方針は米海軍の“ディーレイ級とほぼ同じである。開発計画が昭和30年(1955)から始まるが、彼らより3年~5年遅れたことにより”ディーレイ“及び次の”クロード・ジョーンズ“級の完成を見て当方の試作艦を建造することができることが分かった。このため建造はゆっくり長期となり一番艦”葵(あおい)と菖蒲(しょうぶ)“の完成は昭和34年(1959)になり、その間に新型3吋砲の試作、新型ソナー、短魚雷の開発なども同時進行で実施して搭載した。なお艦名は当初旧2等駆逐艦になるものとして植物の名からとったものである。
【要目】
基準排水量1,350㌧ 満載排水量1,950㌧
全長96ⅿ × 幅11ⅿ × 吃水3.9ⅿ 主機:ディーゼル機関 × 4基
1軸 8,600馬力 速力 23㌩ 航続距離15㌩で7,000浬 乗員165名
【兵装】
3吋連装自動砲 ×1基 33式6連装対潜墳進砲 × 2基
3連装短魚雷発射管 × 2基 短魚雷落射機 × 2基
戦後の護衛艦、試作第一号艦であった。しかし、輸送船団を護衛する旧海防艦が護衛艦になるという認識が部内に色濃くあり、海防艦の延長として設計が進んだため中途半端な艦になってしまった。できるだけ安価で急速建造などという制約は23㌩という速度や、搭載兵器の貧弱さに表れ、今後発達するであろう水中高速潜水艦を征圧するには不十分であった。海軍が昭和35年(1960)に建造した原子力潜水艦“親潮級”はすでに水中速力で30㌩弱の発揮が可能であったからである。これにより対潜護衛艦は27㌩以上が必要との結論が出てしまった。兵装に関しては3連装短魚雷、3吋連装砲、9連装対潜墳進砲などで3連装短魚雷発射管は米海軍が開発したもののコピーである。3吋連装自動砲(59式3吋連装自動砲)は大戦中より研究開発が勧められたものでやっと正式化して搭載することができた。砲の緒元は下記の通りであるが性能は世界最前線に達するものである。
砲口3インチ 砲身長3.75m 射程11,500ⅿ 最大射高8,800m
発射速度 45発/分/門 俯迎角範囲 -15/+85° 重量42㌧ 砲員4名
本艦は計画中に石川島造船から海軍に提案された案であった。この時期から海軍と一般造船所との交流が始まりこのような提案を受けることが始まった。
実際には建造されなかったが長船首楼の船体は居住面積を増しゆとりがあり、後の護衛艦建造の参考になった。この様な提案が後に優秀艦の建造につながるものとなった。
1.曙(あけぼの) | 三菱長崎 | 昭和39年(1964) | 4月08日竣工 |
2.夕暮(ゆうぐれ) | 舞鶴工廠 | 〃 | 4月22日竣工 |
3.有明(ありあけ) | 三井玉野 | 〃 | 5月18日竣工 |
4.朝日(あさひ) | 石川島造船 | 〃 | 4月18日竣工 |
5.初日(はつひ) | 浦賀船渠 | 〃 | 5月23日竣工 |
6.陽炎(かげろう) | 三菱長崎 | 〃 | 5月28日竣工 |
7.朧(おぼろ) | 石川島造船 | 昭和40年(1965) | 4月18日竣工 |
8.夕焼(ゆうやけ) | 三井玉野 | 〃 | 4月20日竣工 |
9.日向(ひなた) | 浦賀船渠 | 〃 | 4月24日竣工 |
10.子日(ねのひ) | 石川島造船 | 〃 | 5月08日竣工 |
11.暁(あかつき) | 三菱長崎 | 昭和41年(1966) | 4月03日竣工 |
12.不知火(しらぬい) | 三井玉野 | 〃 | 4月20日竣工 |
【要目】
基準排水量2,350㌧ 満載排水量3,280㌧
全長123.7ⅿ × 幅 13.3m × 吃水4.2ⅿ
機関:ディーゼル6基 1軸 出力26,500馬力 速力28㌩
乗員:210名
【兵装】
5吋単装自動砲 × 1基 アスロック発射機 × 1基(16発)
9連装対潜墳進砲 × 1基(45発) 三連装短魚雷 × 2基
対潜ヘリコプターSH-2改 × 1機
前作、葵(あおい)級の建造で得た新型護衛艦の方向性と対潜兵器としてヘリコプターを活用するというテーマを盛りこんだ設計であった。この時期米海軍はDASH(無線誘導無人ヘリ)が対潜兵器の常識として搭載されたが、母艦より離れた時の探知精度の低下による目標の喪失、操縦ミスによる事故や故障の多さ等の情報が入ってきた。それでも海軍はDASHに興味を持ち輸送艦に乗せ実験したが、やはり遠距離での探知精度の低下を確認したための護衛艦への搭載を諦め、小型有人ヘリを採用することにした。小型艦にヘリが着艦することは非常に難しいことであったが、ヘリからから垂らした誘導索を強制的に巻き取って着艦させるという方法をカナダ海軍より導入しこの問題を解決した。
備砲は5吋単装自動砲を搭載した。この砲は昭和25年より開発にかかり昭和30年正式採用されたもので、3吋砲同様艦内で給弾員がラックに補給するだけで照準その他は指揮所で行う自動砲である。対潜用としてアスロックを搭載し16発を次発として煙突左右に搭載している。9連装対潜墳進砲(33式対潜墳進砲)は0式対潜爆雷投射機を改造し、発射時間を短縮した砲で対潜小型爆雷を45秒間隔で発射が可能である。ボフォース対潜ロケットとほぼ同じ性能を有している。短魚雷発射管は艦橋横に2基搭載している。射撃指揮装置は竣工前年に完成した新型(38式射撃指揮装置)を搭載しており、装置は無人となった。
ヘリ着艦訓練中の“陽炎”。ヘリは米海軍のSH-2シースプライトである。1964年に15機輸入され対潜ヘリに改造され護衛艦搭載用となった。本機は母艦から遠く離れた海域でも探信儀の探知精度の低下を防ぎ潜水艦に攻撃できるという利点があった。対潜用への改装は日本で行ったが後のLAMPSのようにソノブイや磁気探知機を搭載したものではなく、DASHの有人化といった程度のものである。だが、いち早く有人ヘリを護衛艦に搭載したという点で護衛艦の方向性が決まり活躍の場が開かれた。