70.“澤風”型ミサイル駆逐艦

澤風型ミサイル駆逐艦の図


 

 1.澤風(さわかぜ) 三菱長崎 昭和36年(1961) 4月15日竣工 横須賀
 2.島風(しまかぜ) 舞鶴工廠     〃 5月14日竣工
 3.春風(はるかぜ) 石川島     〃 5月24日竣工 大湊
 4.雪風(ゆきかぜ) 三井玉野     〃 5月29日竣工 横須賀
 5.旗風(はたかぜ) 浦賀船渠     〃 6月12日竣工
 6.谷風(たにかぜ) 三菱長崎 昭和37年(1962) 4月18日竣工 舞鶴
 7.峯風(みねかぜ) 舞鶴工廠     〃 4月22日竣工 横須賀
 8.太刀風(たちかぜ) 石川島     〃 5月11日竣工 佐世保
 9.朝風(あさかぜ) 三井玉野     〃 5月23日竣工 大湊
10.時津風(ときつかぜ) 呉工廠     〃 6月20日竣工 舞鶴
11.天津風(あまつかぜ) 三菱長崎     〃 6月30日竣工 横須賀


基準排水量3,650㌧   満載排水量4,530㌧
全長137.7m   幅16m   吃水4.8ⅿ
機関:三菱蒸気タービン35,000馬力 × 2基 70,000馬力  速力32㌩
兵装:30式65口径5インチ砲 × 2基
   対空ミサイル“翔炎56-C”発射機(単装)× 1基(36発)
   6連装対艦ミサイル“火龍Ⅱ”発射機 × 1基(18発)
   8連装対潜ミサイル“蒼雷Ⅱ”発射機 × 1基(24発)
   3連装対潜魚雷 × 2基 
乗員340名

 戦後初めて新造した駆逐艦である。既存艦の改造で戦後の戦力を維持していた海軍であったが改造では搭載する兵器のスペースを確保することが大変であった。満を持して建造することになったこのクラスはそうした設計上の無理を排除し、かつ居住性の改善にも配慮した結果、海軍史上最大の駆逐艦になった。昭和33年(1958)計画で5隻、翌34年(1959)計画で6隻の合計11隻が建造された。就役後の評価は高く、働きやすい艦との評判であった。
 竣工後各艦それぞれ北方・日本海北部、太平洋、南シナ海・日本海西部に配備され、その兵装は有力な海軍力として認められた。技術本部は旧海軍からの船首楼型の船体とするか米海軍のように平甲板型にするか意見が分かれたが同級よりゆとりある無理のない設計が優先され長船首楼型の船体となった。この船体の採用により全体的にゆとりができ、居住性も改善され、シフト・缶・シフト・缶の配置が行われ抗甚性がました。

 1959年計画時にはこの同型艦を更に建造する予定であったがソ連の飽和攻撃態勢の強化はそれを許さず、米海軍同様対空能力を強化されたフリゲイト(のちの軽巡洋艦)の増強が求められることになる。同時に対空ミサイル発射艦艇を増やすために大戦型の軽巡を至急改造して間に合わすことも行われた。また、海防艦を大型化させた護衛艦の整備も行われることになる。さて、火器について説明しよう。

 対空ミサイル“翔炎56-C” は改造ミサイル駆逐艦“山雲(やまぐも)型”に搭載した1型の改良型である。射程が40㎞となり燃料の改良により速度もM2.2になった。発射機は次発速度の速い単装式の改良型を搭載したがこの後単装型が主流となった。

 6連装の対艦ミサイル“火龍Ⅱ”は、戦艦が退役することになり長距離攻撃の必要性を説く声が部内であがるようになり、技術本部がこれに答える形で開発が始まった。海軍は伊-400型潜水艦の桜花43型で米東海岸やハワイを攻撃した実績があり、対艦用あるいは陸地攻撃用のミサイルの研究は戦後も続けており、火龍の実用化はソ連のP-15とほぼ同じ時期であった。1950年代初期の研究ではミサイルの小型化、弾道ミサイル化が可能となった。また、操縦もラジオ電波によるものではなく小型レーダーや赤外線などで行うため前方で再度電波を送ることはなくなり発射ボタンを押すだけで攻撃が可能となった。

 実験駆逐艦“三日月”艦上では対空用と対艦用の2種類のミサイルの発射試験が始まり艦上はてんてこ舞いの忙しさであった。1951年から実用化試験が始まり1957年5月には目標への攻撃に成功し、1958年8月、対艦ミサイルとして採用され、“火龍”と命名された。射程80㎞、速度M1.5であるが最終航程はアクティブホーミングである。これによって遠距離の敵大型艦への攻撃が可能となり、費用の掛かる戦艦の退役が促進された。なお本艦完成時には発射機が間に合わず昭和36年(1961)より搭載された。
8連装の対潜ミサイルは、米海軍のアスロックのデッドコピーである。というのも1951年東アジアの共産化を防ぐという観点から日米同盟が結ばれ、日本と米国は対共産主義諸国と対峙する立場をとることになり、その同盟の証としてミサイル・潜水艦・航空機などの開発を共同で行うことになったからであった。アスロックの完成は1961年であり当時の最新鋭兵器であったが発射装置としては機密事項もなかった為簡単に提供したものと思われる。海軍でも同様の発射機を製作していたが米提供のアスロックが故障も少なく信頼性が高かったので開発を止め、米海軍の好意を受け入れたものである。海軍では自前の短魚雷をブースターに継ぎ実用化した。

※第1案の図


※第5案の図



 第1案は初期のデザインであるがこの時の装備と本艦完成時の姿はあまり変わっていない。図5案は射撃式装置の位置の違いを表したものでこの配置は採用されず、射撃式装置はミサイル誘導装置の前に設置され、位置も高くなっている。

 この時期艦名についても再度整理され、空母が”旧国名“及び”天に関する仮想動物名“。潜水艦が“潮”“波”及び“海性仮想動物”の名になり、駆逐艦は”月“”雨“”風“雲”その他天象に関するもの“陽炎”など。更に“空(そら)も加えられた。またフリゲイトはかつての軽巡である”河“の名、大型は”山の名“となりました。小型駆逐艦は”植物“の名、駆潜艇以下小型攻撃用艦艇は”鳥“の名称が採用されることになった。その後ヘリ空母や輸送艦、補給艦(半島名)、観測艦、敷設艦(岬名)、各種母艦なども決められた。
 
※澤風、チャールズ・F・アダムスの図



基準排水量3,277㌧   満載排水量4,526㌧
全長133.2ⅿ  幅14.3m  吃水4.6ⅿ  主機:ギアードタービン2基2軸
出力:70,000馬力    速力32ノット   航続距離20㌩で4,500浬
兵装:ターター発射機1基(ミサイルSAM 34~36発 SSM 4から6発 計40発)
   12.7㎝54口径単装両用速射砲 × 1基  SUM 8連装アスロック × 1基
   324㎜3連装短魚雷 × 2基 乗員333~350名 

澤風級と同時期に完成した米海軍の駆逐艦である。トン数、長さなどほぼ同一である。しかし、設計思想の違いからこのように差ができることをご覧いただきたい。チャールズ・F・アダムスはさしたる改造もせず1990年初期まで就役し92年までに全艦除籍された。
(本艦と同期の艦で比較のために載せたが私の作図ではない。作者は不明なので拝借したお礼のみさせていただきます。)