63.航空母艦 “若狭” 1955年

 いきなり戦後の空母になりますが、皆さん戸惑うと思いますので終戦までの経緯を少し述べます。サイパン南方沖海戦から米軍の猛攻が始まり、エセックス級大型空母を量産し、それに多数のF6Fヘルキャット、攻撃機アベンジャー、ヘルダイバーなどを搭載した米海軍は38任務部隊と58任務部隊を交互に使い分けながらマリアナ、レイテ、沖縄戦と激しい攻撃が続きました。日本海軍は改翔鶴級の大鳳、祥鳳、瑞鳳、龍鳳の4隻をはじめ駿河、出雲、尾張や従来型空母を使ってこれらの海戦を戦い抜き、19年年末には第二次ハワイ攻撃を敢行、 これに成功してハワイを占領、米国に休戦を申込みハワイの返還と引き換えに終戦となりました。この筋書きを描いていたのですが素人はうまく表現することが出来ず時間ばかりが経ってちっとも前に進まなくなってしまいました。でこの話は戦後の艦船の紹介の中で少しずつ記すことにしました。これから戦後の日本海軍の話になります。今回は改翔鶴型=大鳳型が戦後どうなったか?から始めます。


全長273.7m × 全幅 31.5m(29.5m)× 喫水 10.2m
高さ(飛行甲板迄22.6m) 格納庫高さ5.5m
機関:艦本式缶8基 蒸気タービン4基4軸 出力16万馬力 最高速度33㌩

兵装:20式5吋両用砲×1基(仮設) 98式長10.5㎝連装両用法×4基 戊式40㎜連装機関砲 × 2基
搭載機:震電改戦闘機 ×48機 流星艦攻 ×36機 彩雲偵察機 ×8機  合計 92機

 1955年度に改装完成した空母“若狭”の姿です。艦載機のジェット化と大型化に対応することになり当時の最新式機器を搭載する空母に生まれ変わりました。選ばれたのは大鳳級の中でも後期に完成した第Ⅲ期艦の若狭、土佐、出雲から始まり、更に上総、薩摩、相模、近江、続いてⅡ型の駿河、尾張の2隻。“鳳”の付く大鳳、瑞鳳、祥鳳、龍鳳の4隻は対潜空母という位置付けになり、このような大掛かりな改造は行われませんでした。本級は太平洋戦争では防御力の強さをいかんなく発揮して戦沈艦は一隻もありませんでした。改造は1952年度より順次改装に入り、最初に完成したのが“若狭”でした。“若狭”は元々エンクロウズド・バウで完成した空母であり、改造は比較的簡単だと考えられていましたが、日進月歩の航空機の発達は本級の改造に多大な費用が掛かることが分かり、より大型の“安芸”級を含め11隻にとどまりました。内容は米海軍のSCB-27AとCに対応する改造で主な改造工事は、全長63mに達する大型化したカタパルトへの換装、着艦用斜め飛行甲板の採用、エレベーターの大型化改修工事、艦橋の整備、対空火器の一部交換(98式長10.5㎝高角砲→5吋単装高角砲=試作砲を搭載)・40㎜連装機関砲から3吋連装砲への交換など)でした。本級1型の大鳳、祥鳳、瑞鳳、龍鳳は前期大戦の殊勲艦ですが大戦中被害を受けたこともあり大規模な改造は行われず小規模な対潜空母への改造にとどまりました。対潜空母の姿は後程発表いたします。またこの時期新型艦載ジェット戦闘機の試作も終盤に入っていましたが若狭の完成時期には間に合いませんでした。


 近代化工事後の空母”薩摩”の図です。艦載砲が20式5吋単装砲3機に換装されております。エレベーターを3基にしたかったのですがこの大きさの空母では大型エレベーター3基は無理だと気が付き、3基の小型から大型2基にしました。エセックス級でも前部のエレベーターが使われていることはほとんどないようです。なお、初期に改造された“若狭”も数々の改造を経て最終的にはほぼ薩摩と同じになっていることを申し添えます。(改造というのは新造より大変なことが分かりました。どこをどう直すか考えるのは新規に考えるより難しいです・・・。)