66.戦後初の空母“甲斐”竣工
【要 目】
基準排水量 47,000㌧ 満載排水量59,800㌧
全長291.6m × 全幅35m × 吃水10.5m
高さ16.15m(水線より飛行甲板まで)
主機:艦本式タービン55,000馬力 × 4基 22万馬力 速力33.5㌩
飛行甲板長さ285m × 36.5m(最大幅76.4m) 艦首部幅26.5m 格納庫全長200m × 幅29.5m × 高さ6.6m エレベータ 4基
飛行甲板厚 95㎜(対500㎏爆弾)範囲230m × 30m
【兵装】
12.7㎝単装自動両用砲 × 8基 40㎜連装機関砲 × 3基
【搭載機】
戦闘機24式戦闘攻撃機 × 48機 攻撃機流星 × 12機 閃電 × 24機予備機10機(各種3~4機) 合計84機
“甲斐”は戦後進水した最初の軍艦である。本艦は終戦時まだ船台にあり一時廃艦も検討されたが工程が進み過ぎていたので、進水が可能になるまで工事を継続することになった。その後搭載機のジェット機化が現実となりつつあり、空母も大型化することが予想されたためジェット機搭載可能な艦として完成させることに方針変更、昭和21年(1947)8月18日進水式を挙行した。図は昭和23年11月23日竣工時の“甲斐”の姿である。原型に比べ艦首が前方に伸びており、“安芸”“摂津”の艦首とは相違している。その他各種レーダーは戦後開発された新型に変わっており大型化している。舷側エレベータ(17.66×13.3m力量35㌧)やカタパルトも大型・強力なものが装備され、ジェット機に対応したものとなった。
機銃配置はスポンソンが設けられているものの、後日装備でも可ということになり40㎜連装機関砲は3門しか搭載していない。丁度3吋速射砲への交換を検討していた時期であったためらしい。
本級が米海軍のミッドウエー級空母に対抗して建造が進められたことは53項に記載の通りであるが、ミッドウエー級が昭和37年(1956)にエンクローズドバウ・斜め甲板・カタパルトの大型化への改造を実施するが、時を同じく安芸級空母も改造に入った。改造内容は前述の大鳳級の改造とほぼ同じである。これによりジェット戦闘機の本格的運用が可能になり、本級(安芸・摂津・甲斐)と大鳳型空母(若狭、土佐、出雲、上総、薩摩、相模、近江、駿河、尾張)9隻で極東アジアの安定化に貢献することになった。この後も数度の改造を行い搭載機に即応した空母に生まれ変わっていくことになるが、本項では最初の大規模工事完了の時点までを取り上げた。
【要 目】
基準排水量 47,000㌧ 満載排水量60,250㌧
全長293m × 全幅49.3m(水線幅35m) × 吃水10.7m
主機:艦本式タービン55,000馬力 × 4基 22万馬力 速力33㌩
飛行甲板長さ293m × 幅36.5m(76.4mエレベータ含む) エレベータ3基(17.7m × 13.1m・力量30㌧)
【兵 装】
12.7㎝単装自動砲 × 6基 3吋連装速射砲 × 3基
今回の安芸級の改造はジェット戦闘機に対応するものでこの改造では以下の工事が行われた。
・斜め飛行甲板(アングルトデッキ174.5m)
・カタパルトの交換
・ミラーランディング・システム
・エレベータ交換(力量30㌧へ)
・ジェット燃料2300㎘・航空用ガソリン(プロペラ機用)1200㎘の2種類を搭載。
・後部の搭載艇格納部分を廃止し、新たにジェットエンジンの燃焼・調整設備を設置した。
以上の改装の結果本級は第一線空母としての性能を備えた。なお、12.7㎝単装自動砲は駆逐艦“潮Ⅲ”型に搭載され、対米戦の最後に間に合った傑作砲で10.5㎝高角砲より発射速度が速く電子機器との相性も改良されほぼ理想的な対空火器となった砲である。また、レーダー、通信機器は新型のものに替えられた。
本級は1隻ずつ北部艦隊(対ソ連・大湊基地)、太平洋艦隊(横須賀)、南太平洋艦隊(佐世保)、日本海艦隊(舞鶴・大鳳級が担当、呉は総合基地)で任務についた。空母12隻のローテーションは3隻が航海、修理、休養の状態を繰り返す形であった。
本級の搭載機は24式ジェット戦闘機“天風”と22式ジェット戦闘機“閃電”との2機種である。24式“天風”は本艦に初めて部隊配置された機体であった。艦攻としては戦中に完成した“流星55型”及び22式ジェット戦闘機“閃電”を搭載している。偵察機として配備されていた彩雲は艦載機のジェット化で速度の点で第一線から外された。
【諸元】
全長11.2m × 全幅11.0m × 高さ4.5m 総重量6,400㎏
主機: 三菱ネ-440(1,600㎏・5,000馬力相当) 最高速力1,100km/時
上昇力 上昇限度13,400m
燃料搭載量2,200ℓ 航続距離2,600㎞(翼タンク装備時)
(兵装)12.7㎜機関砲 × 6門 爆装1,000㎏ 初飛行1948.3
後述する22式“閃電”とほぼ同時期に計画された艦上戦闘機であったが、昭和17年にドイツからMe262Aメッサーシュミットの設計原案を入手し、同時にジェット機の後退翼に関する理論、計算値、設計書などを入手できたため、空技廠では審査の結果これを採用し翼を再設計することになった。このため22式に遅れること2年間、ロスをしてしまった。しかし、このロスが本機を傑作機として羽ばたかせることになったのである。エンジンは“震電”に搭載した三菱ネ330(推力1200㎏・4000馬力相当)を更に強化したネ440(1600㎏・5500馬力相当)、速度も戦闘機として1000㎞/時を超え、運動性も申し分なく機体はやや大型化したものの“安芸”型空母には80機の搭載が可能であった。この時期の三菱ネエシリーズは製作上も問題なく製作され最も信頼できるエンジンであった。機体製作が川西製作所、エンジンは三菱。組立には中島も参加した。総生産数3594機であった。
【諸元】
全長11.2m × 全幅11.4m × 高さ3.89m 総重量6,950㎏
主機:三菱ネ-330改(推力1,450㎏・4,500馬力相当) 速力980㎞/時 燃料2,950ℓ 航続距離2,150㎞
上昇力 (2,000m迄)33.5秒 上昇限度13,000m
(兵装)20㎜機関砲 × 4門 爆装1,000㎏ 初飛行1946.12
海軍は“震電”を艦上戦闘機として採用したがエンテ型の航空機は安定性がもう一つであり、本角的な戦闘機の開発が望まれていた。これに呼応したのが三菱でドイツ・メッサーシュミットよりの機密情報をもとに設計した。(ただしこの時期後退翼の情報はなかった。)また、在米諜報機関よりもたらされた米のジェット機情報(パンサー)を参考にしつつ18年7月より開発が開始された。昭和21年12月には初飛行に成功し、翌年6月より発艦テストが行われ、艦載機として採用された。しかし、この後すぐに24式艦上戦闘機が採用されたので生産機数も1756機と少なく“流星“とともに艦上攻撃機や練習機としての役割を与えられた。