64.重巡 “雲仙”型 “蔵王”




  【要目】
      基準排水量12,700㌧ 満載排水量16,050㌧
        全長198m × 全幅20.4m × 吃水7.2m 
        主機:艦本式ギアードタービン12万馬力  速力33.5㌩ 燃料搭載量2,350㌧
      航続距離:15㌩で10,000浬
 
  【兵装】
        55口径20.3㎝3連装 × 3基 65口径10.5㎝連装両用砲 × 6基(12門)
        40㎜連装機関砲 × 8基 (1955年3吋連装両用砲8基に改装) 
        25㎜3連装機関砲 × 6基(18門)   ヘリコプター2機

 重巡“蔵王”の戦後の姿です。戦時色も無くなり、積めるだけ積んでいた機関砲なども撤去したので巡洋艦らしくスマートな艦様となっています。主な改造点は
・艦首、艦尾の40㎜連装機関砲3基、前部マスト両舷の25㎜3連装機銃2基、1番高角砲両舷の25㎜3連装機銃2基等を撤去。
・機銃撤去後のメインマスト基部を拡幅し電探室をここにまとめた。
・カタパルトを撤去。米国よりシコルスキーP-51ヘリ100機をライセンス生産契約、5号機より三菱重工で国産し本艦には2機搭載した。
・前部マストのレーダーをより高性能R-19式に変更、後部マストの対空レーダーもR-20に変更している。

本級は完成が18年から19年9月迄なったため対米戦は18年後半の緒戦から参加することになりました。つまりサイパン南方沖、マリアナ、レイテの緒戦です。しかし完成後間もない時期であったったため本隊には参加せず、もっぱら黒子に徹しており取り立てて記す戦果はありません。しかし就役後ただちに戦闘に参加したことそのものが米海軍に与えた影響は大きく、米海軍は日本の工業力の発展、進歩を認めざるをえなくなりました。それが米海軍の経戦意欲をそぐことになり、停戦へとなったことに繋がりました。

戦後の雲仙型は戦艦の退役とともに艦隊の主力を務めることになり、鞍馬型とともに各部隊の中枢を務めました。“蔵王”も艦橋左右の25㎜3連装機銃を撤去した跡のマスト下の部分を拡張して、レーダー機器をまとめCICとして使用しています。重巡蔵王は1948年4月より第3任務部隊(空母土佐・若狭)護衛指揮艦として沖縄方面の警戒に当たっていました。

1949年からきな臭くなった朝鮮半島に対して、日本は“民族独立支持”の立場をとり介入はしませんでした。米軍が釜山まで共産軍に押されるのを見て初めて重い腰を上げたが、それでも仁川逆上陸の後方支援をするに止まりました。




上図は雲仙級の同型艦“大峰”です。近代化は“蔵王”よりも進み、マストの近代化後部艦橋が大型化しています。本艦では“蔵王”と同様な改造に加えて、中央部の25㎜3連装機銃と射撃指揮装置を撤去してそのスペースを確保しました。これは今後のヘリコプター活用方法を探る為で、このスペースを利用して将来の対潜戦でのヘリ活用法を研究しました。排水量等の要目の変動はほとんどありません。