65.ミサイル実験艦“駆逐艦三日月”
【要目】
基準排水量2,810㌧ 満載排水量3,950㌧
全長134.2m 幅11.6m 吃水4.4m 主機:艦本式タービン2基 2軸
速力33㌩ 航続距離18㌩で8000浬 燃料搭載量850㌧ 乗員250名
【兵装】
98式10.5㎝連装両用砲 × 2基(4門) 25㎜3連装機銃 × 4基
対空ミサイル実験装置 一式
日本海軍は昭和18年1月に伊-400型潜水艦でニューポートニューズ造船所とベツレヘムクインシー造船所を戦略ロケット桜花により攻撃しました。建造中のエセックス級空母多数を破壊し、その後の海戦において空母の数ではほぼ互角で戦闘できたという結果がでました。(第5刊59項参照)この時点では戦略弾道弾”桜花“を保有しミサイル先進国であったわけです。しかし、戦後は終戦後の諸政策に手間取り海軍も活動が一時停滞しました。その間、航空機の発達は目覚ましいものがあり、戦闘機はプロペラ機からジェット機へと進化し始め、速度は1000kmを超えるようになりました。対空兵器としての40㎜機関砲或いは25㎜機関銃ではもはや対処できなくなったのです。
米海軍はミサイルによる対空兵器の開発にいち早く着手し、最初の対空ミサイルであるテリアⅠを1949年12月に発注、翌年には50発の試作を命じ、実験艦となった旧式戦艦“ミシシッピ”艦上で発射試験を開始し、艦上からのミサイル対空射撃に成功しました。
日本海軍も遅れること2年。1951年、対空誘導弾を艦艇に乗せ発射するという取り組みを始めました。その第一号艦となったのが駆逐艦“三日月”です。ミサイルは全長6m強の機体として駆逐艦に搭載することが可能なものを目指しました。担当会社は三菱電機と東芝です。
この図面からも分かるように駆逐艦三日月は秋月型の改Ⅱ型に属しており後部の98式10㎝連装高角砲を3基搭載したタイプでした。実験艦に改造するにあたっては後部の兵員室や主砲3基を撤去し、新たにミサイル格納庫、追尾する管制レーダー2基と関連する諸室を配備する大規模なものでした。当初は発射装置も鉄パイプで組んだだけのもので、後方へ発射するだけでしかできませんでした。その後、開発は順調に進み発射機も米海軍と同様にラック式のものになりました。図は鉄パイプで組んだ発射機の状況を示しております。また、ミサイル誘導用のレーダー管制装置も旧型と新型が混載されています。
【要目】
基準排水量2,840㌧ 満載排水量3,950㌧
全長134.2m 幅11.6m 吃水4.5m 主機:艦本式タービン2基 2軸
速力32.5㌩ 航続距離18㌩で8000浬 燃料搭載量850㌧ 乗員270名
【兵装】
98式10.5㎝連装両用砲 × 2基 40㎜連装機銃 × 2基
雷神対空ミサイル連装発射機 × 1基(40発)
上図は三日月がミサイル発射機に装填された1953年の状態です。本艦はこの状態でミサイル発射実験を終了し、空母機動部隊の護衛に参加いたしました。乗員が20名ほど増えておりますが両用砲の人員が30名ほど減りましたのでミサイル関係の乗員は50名が新たに乗り込んだわけです。結果は20㎞までの範囲で“対空ミサイル雷神Ⅰ型”の防空能力は満足できるものでありました。この雷神ミサイルは改良を重ね、Ⅳ型になった時“潮”級駆逐艦の艦尾側後部を改造し、速射タイプ化した発射機とともに装備されました。 後日、改造後の“潮”級駆逐艦を発表いたします。