26.潜高中 呂-201型

第1期建造艦
  201~300 横須賀工廠馬堀工場  昭和17年5月~ 昭和18年2月 100隻
  301~400 三菱神戸造船所      昭和17年7月~ 昭和17年11月 50隻
   401~450 川崎重工泉州工場    昭和17年9月~ 昭和17年11月 50隻

第2期建造艦
  
451~500 大連工廠          昭和18年5月~ 昭和18年7月  50隻
  501~600 横須賀工廠馬堀工場    昭和18年4月~ 昭和18年8月 100隻   
  601~700 三菱神戸造船所      昭和18年2月~ 昭和18年6月 100隻
  701~750 川崎重工泉州工場    昭和18年1月~ 昭和18年3月   50隻

                                                           総計 500隻

計画時(第一刊掲載)より若干小型化しましたが要目は以下の通りです。

基準排水量730㌧  全長69.2m  幅5.8m  吃水4.36m 
主機艦本式22号改低過給ディーゼル2基 主電動機2基 重油230㌧ 
出力2,550馬力(水上)/4,200馬力(水中)  速力 水上14.5㌩(水上)/ 21㌩(水中)  
潜航まで21秒  安全潜航深度130m  乗員29名
航続距離 10㌩にて8,000浬 / 3㌩にて100浬
兵装 53.4㎝発射管×4門 魚雷搭載量 10本(後期艦は小型魚雷2本追加)

第一刊において筆者はこのクラスについてその概略を十分話し、その気になって小説もどきの話まで書いてしまいました。ところが肝心の艦型図を書かず波-201の拡大で済ましていたのです。しかし、よく考えるとこの艦がこの物語の主役になるはずなので、いい加減なものでは駄目だと思うようになり第二刊の最後にこれを発表することにしました。今回外国の資料(写真含む)も入手し、波-203、204等の後方からの写真も参考にしながら、潜高中“呂-201”を書き上げました。史実にはない全くの創作ですが、伊-201や波-201の兄弟だと思って下さい。

 建造の推移を見ると昭和18年の6月には400隻が建造され8月には全ての建造が完了しています。建造の主力工場は潜水艦の名門である三菱神戸と川崎重工が別の場所に作った泉州工場ですが、メインは第一刊で概要を述べた横須賀工廠の馬堀工場です。ただここは新設工場なので名門佐世保工廠から多数の潜水艦建造の関係者が派遣され、中にはそのまま馬掘への転属を申し出た者も多数いました。私が小学生6年の時、馬堀に臨海学校で訪れ岬の上に防衛大学があることを知りました。将来この大学に入り将来自衛艦の艦長なりたいと思っていましたが年と共にその志しを忘れいつしか道は遠のいてしまいました。しかし、その時土地の古老が話してくれた“一万トン巡洋艦が通ると10分後に津波のような大波が押し寄せて来るので、岩山の上に逃げたもんだ”という話を今でもよく覚えています。横道にそれました。
  18年8月に全艦が揃いますのが、最初のロットに含まれる艦は17年の暮れには早くも実戦配備に就くことになります。彼らが最初に配備された方面は樺太で北方より米大陸を窺うという方針でした。その後南方に廻り海軍の東進と共に常に第一線に配備されました。

 第一刊ではハワイにやってくる米海軍の輸送船団をモロカイ断裂帯付近で待ち受けて、狼攻撃をする呂-201型潜水艦の活躍を著したのですが、改めて太平洋の地図をよく見ると合衆国の西海岸という海域は 全然島がありません。ロスやサンフランシス沖で出向する艦船を待ち受けるという作戦はハワイ以東に補給基地を確保できないため非常に難しい作戦になります。中国のように人口の島を作るわけにもいかず、どうしようか困っていました。
  ところがよく考えると物資の集積地がハワイか珊瑚海(現タスマン海)やその西のニューカレドニア、ニューヘブリディーズ諸島、フィジー、サモアなのですからそこに集中的に呂-201型潜水艦を配備すれば、ロスやサンフランシスコの沖に配備する必要は無いことに気づきました。これしかない、防衛線であり攻撃地点であるこの地域に潜水艦の大量配置をすべきと考えたわけです。当然米海軍は航空兵力と対戦艦艇を集中的に投入するでしょう。何しろフレッチャー級175隻、ギアリング級100隻、護衛駆逐艦1,000隻強その他の艦艇を入れて2,000隻以上の対潜艦艇を向こうに回すわけですからまともに戦って勝利を勝ち取るのは至難の業です。整理しますと
 1.ロスとサンフランシスコの封鎖は無理。攻撃は可能。
 2.ハワイ封鎖・攻略は可能性があります。
 3.パナマ運河の攻撃、撃破。可能ですがあまり意味がありません。
 4
.オーストラリア・ブリスベン攻撃占領。困難です。
すると
 
a.機動部隊でハワイを攻撃し、できれば占領する。
 
b.ロス、サンフランシスコ、シアトルには機動部隊で攻撃を加える。ヒットアンドウエイでいい。
 
c.最前線を珊瑚海(現タスマニア海)まで広げ、兵站根拠地になるニューヘブリディーズ諸島への輸送海路を阻止。

  この状態で停戦に持っていくしかない。ただし、帝国海軍も“切り札となる物?を所有する必要がある”となってしまうわけです。ここから先は政治家ですごい人が出てくることを期待して私は艦艇の整備に専念します。潜高中呂-201の活躍の場はこの3箇所となりました。で記述になります。

  軍令部は米国をして両洋作戦を止め、早期停戦に持ち込むべくハワイの封鎖作戦と米とオーストラリアの分断、オーストラリアの中立化を促進する作戦に方針を決定した。このため潜水艦による米輸送経路の封鎖に全力を傾注することになり、潜水艦はもとより、彼らを守るための艦艇、航空機を優先して整備することを決断した。同時に南方の資源供給国との貿易を安定して行うため味方船団の護衛艦艇・特殊航空機の導入も検討、増強されることとなった。海上護衛本部は聯合艦隊と並列の位置づけとなり、護衛空母なども整備の対象となった。
  呂-201型は当初200隻の整備が目標であったがハワイ水域における封鎖作戦、ガダルカナル東南の珊瑚海、特にニューカレドニア西方ニューへブリディーズ諸島において米海軍が建設を予定している一大根拠地の設営阻止およびフジィー諸島の兵站基地化を阻止し、米豪分断作戦を実現するため追加として300隻が加えられ基地をラバウル、ガダルカナル、タラワに建設することになった。  
  前線が延びるためこれらの基地には潜水母艦、修理用浮きドック、補給艦艇、工作艦 、対潜空母などが配備された。

  呂-201型は非常に使い勝手のよい艦で部隊では好評であった。潜水時の高速力や水中翼による操縦性の良さは今までの潜水艦に比べ別世界のものであり、米護衛駆逐艦の最高速度を上回るスピード、短い潜航時間(21秒)、高度化したレーダー(アンテナ型)やソナー、逆探などは対潜艦艇を相手にした戦闘でもでもいち早く敵艦を感知し、撃沈することもあった。が、基本は会敵退避であった。
  珊瑚海、ニューヘビルディーズ諸島やフィジー諸島方面の米ロジェスティック阻止作戦は15個戦隊60隻(1戦隊4隻)が投入された。主にタンカー、輸送船などの殲滅を目指したもので1943年(昭和18年)には58隻(70万総トン)を撃沈した。中でも秀逸は浮ドックABSD-3の撃沈で4隻が共同で時間差を起き5本の魚雷を命中させた。全長282.5m幅78mの巨体は輸送してきた貨物とともに海底に葬られた。これはマイクロ波による相互連絡が1943年時点で可能であったことを物語る。