21.防空軽巡洋艦 阿賀野型

 大戦中の阿賀野型防空巡洋艦

   能代
    矢矧
    酒匂                 以上 昭和15年竣工

    相模
    千種
    夷隅(いすみ)
    鶴見                 以上 昭和16年竣工

    遠賀(おんが)
    錦(にしき)             以上 昭和17竣工

 本級は昭和12年度と13年度の計画で建造が決定したもので昭和16年から17年にかけて竣工し、部隊配属されました。無論空母の直衛であり、秋月型、島風型、或いは夕雲型の司令艦として任務に就きました。第一刊でも述べましたが、このクラスは実史ではほとんど活躍する場が既になかったためお荷物的な艦でありましたが、この世界では進水以前から防空巡洋艦として就役することが決まっており薗田造船監もそれを考慮して防空艦としての設計もしていたことはお話しました。

 しかし、やはりそれなりに問題はあったのです。阿賀野、能代は既に船台にあったためそのままの船体幅15.2mで進水することにしました。全長に変化はありません。その結果9基搭載予定の内、3番砲が復元性の問題もあり搭載できないことになり、1基減らす代わりに前部に戊式40㎜を3基搭載しました。図の第1案がそれです。この場合艦橋上の94式方位盤照準装置の下の6m測距儀は15㎝砲を搭載しませんからいらないのですが、筆者のわがままでこの形が実にカッコいいのです。ですから測距儀はそのまま搭載しました。航空兵装、魚雷発射管などを撤去し、65口径10㎝連装高角砲8基 戊式40㎜連装機関砲10基、25㎜3連装4基という配置です。前方に対する弾幕はかなり強力です。この姿私は大好きなのです。


 続いて矢矧、酒匂です。この2艦は起工前に幅の不足を解消し、16mを確保しました。したがって予定通り9基の65口径10㎝連装高角砲を搭載しました。
発射管及び航空艤装は無論撤去しております。ただし前部は高角砲の増設により25㎜3連装機銃の装備に改められ、多少前部の火力が弱くなっています。幅の増加によって最高速力は33㌩になりましたが実用上は何も問題はありませんでした。なお、この図は昭和18年4月の状態です。前部マストには前年より正式採用された4号対水上レーダー、後部マストには5号対空レーダーが搭載されています。


 更に続いて以後の6隻です。前記艦との一番の違いは6m測距儀の撤去です。日本海軍の軽巡としては何となく物足りないような気がしますが、15㎝連装砲を載せないのであればこの形が阿賀野級防空巡洋艦の本当の姿になるかと思います。重量物を撤去したためか艦の安定性は非常に優れ、防空巡洋艦の基本が完成しました。
 基準排水量7,000㌧~7,200㌧ 全長175m 吃水5.6~5.7m 幅16m(阿賀野、能代は15.2m)主機:艦本式ギアードタービン4基4軸 10万馬力  速力33㌩(阿賀野、能代35㌩)65口径10.5㎝連装高角砲9基 戊式40㎜  機関砲7基(阿賀野10基) 25㎜3連装機銃6基 装甲水線80㎜ 甲板30㎜



 続いて昭和17年に竣工した。遠賀と錦です。両艦は新設した室蘭海軍工廠で建造された姉妹艦です。第三案の相模と同型として建造されましたが、同艦の前方火力の不足が指摘されたため25㎜3連装機銃艦橋前に残し、スペースのある甲板に戊式40㎜機関砲を搭載しました。17年6月のミッドウェー海戦には間に合いませんでしたが、その後の緒戦では空母随伴艦として活躍し殊勲艦となりました。40㎜機関砲の威力を遺憾なく発揮した結果と言えます。これら一連の防空巡洋艦は空母の被害を軽減したため、機動部隊の稼働率は大幅に向上し18年からの攻勢に貢献するとともに、主目的である”沈まない艦隊”を実現しました。海軍はミッドウェー海戦以降、実戦での戦訓を活かし”沈まない、被害を局限する”ことを第一義とする方向に変わってきたためでもあります。速力は33㌩になりましたが魚雷攻撃を断念したため空母護衛には全く影響はありませんでした。また両艦は40㎜連装機関砲が2基増えた他は性能的に変化はありません。