16.改松・楡型駆逐艦 

   


 
松型駆逐艦は実史では昭和18年19年20年計画で急遽計画建造された艦です。その建造予定数は70隻を越えます。当刊では17年2月に海上護衛総司令部が発足するのと同時に建造が開始され、丁(てい)型駆逐艦として17年4月には一番艦が完成すると想定しました。1年半ほど前倒しになったわけです。このクラスの護衛艦を米は400隻、フリゲートも加えると1,000隻を上回る建造量です。凄いですね!

  ところでこの松型ですが昭和19年末までに210隻建造され作戦に参加しました。

   基準排水量1,300㌧(橘型1,350) 全長100m 水線幅9.4m 吃水3.3m、艦本式ギアードタービン2基2軸 2万馬力 速力29㌩ 燃料搭載量370㌧ 18㌩で3600浬 兵装:後部5吋連装高角砲1基、戊式40㎜連装機関砲を4基、25㎜3連装機銃3基、単装6基。15㎝対潜噴進砲2基、爆雷投下軌条2条、Y砲1基、乗員222名

  最大の特徴は魚雷発射管と前部の12.7㎝高角砲の搭載を辞めたことです。対潜と対空に特化した装備となりました。図面を見てもらうと感じると思いますが日本の駆逐艦というよりは外国艦のようで、それなりにあか抜けて素晴らしい船になりました。
  こうゆう駆逐艦が必要だったのです。言い切っちゃって良いのでしょうか?
いいのです!両煙突の間に40㎜機関砲を管制するレーダー連動の測距儀を装備しています。4式対空探信義と名付けましたが如何でしょう。ここしか置き場所が無かったのです。また、本級の建造は横須賀工廠が一番量産したのですがこの世界の状況では横須賀工廠は他の大型艦の建造で立て込んでいまして、石川島、播磨造船、大阪鉄鋼、浅野船渠の建造所を変更しております。
  しかし、210隻の名前を考えるって結構しんどい・大変なことです。辞書片手に、最後は創造しかありませんでした。浅葱(あさつき)なんて最初はただの“ねぎ”だったのです。しかし、“ねぎ”はないだろうということで昔新潟で食べたことのある“浅葱”を思い出し名付けました。最初“なす”という名前も付けたのです。他にかぼちゃ、人参、蓮などが浮かびましたが“蓮”はともかく”茄子”はないだろうということで“百草”という艦名に替えました。

  それから昭和19年度艦は対空砲を12.7㎝連装高角砲から65口径10㎝連装高角砲(重巡浅間搭載型)に替えてみようかという案もあったのですが、敵駆逐艦との遭遇の場面で5吋砲が無いと頼りない感じがしましたので5吋連装砲のままにしました。40㎜4連装も検討したのですが日本人の体力では40㎜4連装は扱うのが難しいという判断をして、敢えて連装砲にしている次第です。また19年度竣工艦100隻は鳥の名前を艦名としました。鳥類図鑑と取っ組み合いをして取ったものですが随分珍しい名があるので驚きました。”椹微”(さわらび)だけ植物名になっておりますが18年度艦の竣工遅れであります。

  松型の戦歴、活躍は後程書き加えます。皆さんも松の活躍を描いてくれませんか?