6.改伊吹型軽空母

 天城 呉        昭和17.2改装(大鯨・昭和8年潜水母艦・昭和12再建造)

 笠置 佐世保    昭和17.3  (千代田・昭和9年水上機母艦)
 葛城 横須賀     昭和17.5  (千歳・昭和9年水上機母艦)
 阿蘇 三菱長崎 昭和17.1  (瑞穂・昭和9年敷設艦)

 生駒 鶴見      昭和17.7  (明石・昭和10年工作艦)
 伊吹 舞鶴      昭和17.2  (剱崎・昭和10年潜水母艦)

 妙義 舞鶴      昭和17.8  (高崎・昭和12年給油艦)  
  筑波 呉        昭和18.3  (日進・昭和12年水上機母艦)

 霧島 舞鶴      昭和19.2  (追加新造)
 比叡 舞鶴      昭和19.3  (追加新造)

   本級を考える時、筆者は二つの案を考えてみた。一つは純粋に昭和16年の〇急計画によって建造した改最上型重巡洋艦の空母への改造という案。そう考えることが最もオーソドックスであるけどこの仮想戦記ではそんなもんじゃつまらない。しかも、昭和16年起工では間に合わなかったわけです。どうしても昭和12年より前に起工し、17年度中には改造完了している必要性があります、こればかりは譲れない。そこで無理やり考えたのが下記の物語ですがご笑覧あれ。

 海軍は航空母艦の戦時増産を考え昭和8年から空母改装予備艦を建造していた。これは事実であり筆者の創造ではない。

  昭和8年 潜水母艦  大鯨(後に寵鯨と改名)
※電気溶接に寄る船体のそり、ディーゼルの不調など満身創痍の状態のため徹底した技術実験実施後廃艦とした。

  昭和 9年 水上機母艦  千代田
                     千歳
                      瑞穂
 昭和10年  潜水母艦   剱崎
        工作艦     明石
 昭和12年 給油艦     高埼
 昭和12年 敷設艦     日進
                 航空母艦   大鯨Ⅱ 
 昭和14年 飛行艇母艦 秋津島

          以上10隻である。(大鯨は2度建造されることになる。) 

 これらの艦は艦種こそ違うが秋津島を除いてはほぼ同大の船体を持ち空母改造を念頭に置いた艦であった。そこでこれら9隻をもし開戦になった場合短時間で空母に改造するために①同一船体にする、②上部の構造物をそれぞれの用途に応じて配置し③補助空母としてインデペンデンス級と同じような使い方をすると考えてみた。史実の祥鳳では船体が小さすぎるので一番船体が大きい大鯨を基本にすることにした。後の龍鳳になった艦であるが 全長215.65m 最大幅19.58mという大きさはインデペンデンスを上まわり、飛行甲板を25m位に広げれば軽空母としては十分な大きさである。 

また、千代田の機関をやや増強すれば32ノットの発揮も不可能ではなかったと思われる。艦型は後の伊吹の簡易艦橋を設置した島型空母としてみた。すると前部の乾舷が低すぎることに気が付いた。図に示したものはそれに気付く前に画いたものである。後期の同型艦は艦首の甲板を一層高く改正した。
物語は以下のようになる。

  昭和5年ロンドン条約の締結により海軍は空母まで制限を受けることになった。空母が今後の戦局に大きく関与することは当時から予測していたので開戦となれば短時間で空母となる補助艦を建造することになった。大鯨(後に跳鯨と改名)が潜水母艦として昭和6年に起工され本級の第一号艦となった。本艦は電気溶接による船体建造、ディーゼル機関搭載等の多分に試験艦として要素が強かったが横須賀工廠で建造が開始された。しかし、プロペラシャフトが通らない程の溶接製船体のゆがみ、ディーゼル機関の不調などで艦としての建造は失敗に終わり、あらゆる新技術の試験台として横須賀を母港として廃艦になるまで各種の実験に供された。

翌9年、試験の結果を踏まえて全溶接船体、蒸気タービン搭載艦として新たに千歳がキールを据えた。これが後に伊吹級と呼ばれる軽空母である。千歳以下同級8隻は昭和17年2月から18年3月までの間に空母改造を済ませ各戦線に配属された。長崎、呉、横須賀、神戸に舞鶴までくわえてほとんどは昭和17年度に改造を済ませた。なんとこの時の対米空母比率は20対8というもので圧倒的な空母勢力を実現した。これに対して米は砲塔などの製造が間に合わなかったクリーブランド級軽巡10隻を急きょ空母に改造したインディペンデンス級の完成をいそぎ、わが方に対抗する勢力とした。
伊吹クラスの使用実績はほぼ蒼龍に準じたもので飛鷹、隼鷹より速力も6㌩ほど速く、飛行甲板は本級の方が長い。この為、搭載機の大型化にも対応できた。カタパルトは当初から蒸気式で40秒間隔での射出が可能であった。前期艦は大鯨の艦首の高さのままだったのでガブリが多く、飛行甲板破損などの事故があったので、昭和18年には後期艦にならって改装された。
本艦の使い勝手の良さを認めた海軍は昭和18年に2隻(比叡・霧島)を追加建造したがその工期16か月であった。

 基準排水量15500㌧ 全長215.65m 幅19.58→22.58m(水線付近の防御力強化のためバルジ増設による)吃水7.2m 飛行甲板長さ213m 幅25m 主機 艦本式タービン 出力105,000馬力 速力32㌩ 兵装98式65口径10㎝連装高角砲×6基(後期艦は2基)戊式40㎜連装機銃8基(後期艦は16基)25㎜3連装機銃×8基

  空母不足の打開策を考えていたルーズベルト大統領は搭載砲が間に合わないクリーブラド級軽巡を急きょ改造し9隻の空母を完成した。しかしそれは昭和19年であり日本に2年の後れを取ることになってしまった。

 なおこのクラスを“伊吹”級と公称するようになったのは6番艦剱崎が伊吹と命名された時全艦空母名に改名と決まり、伊吹が最初に命名されたことによる。

これらの空母は補助空母としての役割はもとより中部太平洋の初戦やその後の諸海戦で充分空母としての能力を発揮した。