5.改翔鶴級
昭和13年計画 ・・・ 大鳳 神戸川崎 昭和16.12.10 (1941)
(昭和16~17竣工) 祥鳳 横須賀 昭和17. 2. 8 (1942)
瑞鳳 三菱長崎 昭和17. 1.24 (1942)
龍鳳 三菱長崎 昭和17. 6.13 (1942)
駿河 佐世保 昭和17. 5.10 (1942)
昭和14年計画 ・・・ 尾張 大連 昭和18. 9. 3 (1943)
若狭 室蘭 昭和18.11. 7 (1943)
土佐 呉 昭和18.11.10 (1943)
出雲 室蘭 昭和18. 2. 2 (1943)
上総 神戸川崎 昭和19. 1.15 (1944)
薩摩 呉 昭和19. 1.19 (1944)
昭和15年計画 ・・・ 相模 横須賀 昭和19. 6. 4 (1944)
近江 神戸川崎 昭和19. 8. 1 (1944)
紀伊(長崎) ・・・ 建造中止・G14へ
安芸(呉) ・・・ 建造中止・G14へ
※1941年=昭和16年・紀元2601
※カッコ内は建造所及び年
私の建造に至るまでの物語はこうなります。
将来の対立を予測して海軍は昭和13年度に③計画を策定した。当初この計画は戦艦信濃を含む戦艦2隻、装甲空母1隻をはじめとする70余隻の建艦計画であった。しかし、合衆国のスタークプランに対応した③建艦計画では開戦後の航空主力作戦と符合しない点が次第に明らかになってきた。また、スタークプランを更に検討すると正規空母だけでもの30隻以上の建造が計画されることが分かり、ただちに全面的に見直され改③計画に移行した。
再検討の結果、搭載機の航続距離の長さによってアウトレンジするという戦略は廃止となり、装甲空母は建造の必要性がなくなったためこの建造計画は中止となった。また、米海軍の建造する正規空母が搭載機100機という「エセックス」級であり、建造隻数も帝国海軍の予想をはるかに上まわることも分かってきた。最終的に30隻以上になるとも伝えられたが、当面1944年からの就役になることが判り、改③計画はこれより前に空母の数を揃えることを優先して修正案を急きょ作成した。時間的猶予もわずか数か月しかなかったため、正規空母については翔鶴型の線図をほとんど流用して若干の改造を加えることになった。すなわち島型艦橋の採用及び96式65口径10㎝連装高角砲の搭載という案が採用された。このため改翔鶴型はカタパルトこそ後年装備されたが、飛行甲板の防御は見送られた。
基本的に合衆国のエセックス級に対抗するもので15隻が計画され、13隻が
昭和20年までに竣工し、残りの2隻は建造中止となった。昭和12年計画4隻13年7隻、15年計画4隻が起工されそれぞれ16年から19年にかけて竣工した。14年計画艦の一部は昭和8年より建設の始まった大連及び室蘭に完成した新海軍工廠での建造艦である。同時に舞鶴工廠、佐世保工廠の建艦能力増強も考慮され両工廠には6万トン建造ドック、修理兼用浮きドッグ各々1基5万トン建造船台各2基、大連、室蘭は前記船台4基、修理用浮きドックは8万トンのものそれぞれ2基が建設された。
当初戦時急造空母の策定は飛龍改型が検討されたが、将来的に搭載機の大型化は避けられないという趨勢をみて、より大型の翔鶴型を推す意見が強く改翔鶴型を選択した。一番艦の大鳳、及び翔鳳・瑞鳳・龍鳳以降はカタパルトが実用化されたため元の翔鶴とは飛行甲板の前部形状が微妙に異なっている。
艦橋は大鳳型に採用される目的で技研が研究していたもので、煙突と一体化した大型の島型艦橋である。煙突が26度外側に傾斜しており飛行甲板後方の気流に悪影響を与えないように配慮されている。この艦橋が本級の一番の特徴となったが後年この比較的大型の艦橋でも手狭になりより大型となった。
また飛行甲板は装甲甲板ではないが強度甲板化することによって船体構造の一部となったため、格納庫は閉鎖式とせず、半開放ジャバラ式シャッターを採用し被爆時の爆圧を外部に逃す措置が取られたた。この結果、本級はエセックス級並の幸甚性を有することになった。
また、後期建造艦(5番艦・駿河より)は左舷中央部に舷側エレベーターを設置し、中央部のそれを廃止した。なお、翔鶴は2段格納庫であったが本級は下部格納庫を廃止し、高さ5.5mの一段全通式である。これも当初は建造の簡易化という点で採用されたが、結果的に搭載機の大型化に対応した形になった。そのため予備機は天井よりの吊り下げ方式になり、搭載機の一部は露天係止となった。
・戦記物としてはこうなります。
海軍は休戦に先立ち昭和12年から航空攻撃優先の方針に変更した。大和型戦艦の建造の是非が検討されたのもこの年である。この為、急遽空母の大量建造に取り掛かった。12年の計画時は英国の装甲空母をモデルとした航空攻撃に強い艦が企画された。これが大鳳型であるが、攻撃隊の飛行距離を利用したアウトレンジ戦術が見直されたためこの種の空母の必要性が疑問視され、むしろ多数の艦載機を乗せた空母が15隻以上必要と艦政本部は考えた。
おりしも空母用カタパルトの実用化にも目途が立ったので装甲空母案は中止になり、海軍は隻数の確保に重点を置くようになった。当初改飛龍型が案として上げられたが、艦政本部は航空機の大型化を予測し、より大型の空母を探索した。しかし、新型を設計する時間的余裕はないため昭和12年計画の第一次海軍拡張計画で建造された翔鶴、瑞鶴をタイプシップに選んだ。概要は全長を12mほど延長、艦幅を1.4mほど拡幅し、煙突と合体した島型艦橋を右舷に設けた。ただし、量産性を高めるため船体以外は大幅に直線簡易構造を採用した。
このクラスは15隻が計画されたが後期の4隻(2隻建造中止)は船体前部と飛行甲板を一体化したエンクローズバウとなり更に大型化した。艦形は下記に示す。
空母若狭はこの改翔鶴型の9番艦であるが搭載機の大型化と共に手狭になった飛行甲板を拡張し、舷側に本格的エレベーターを装備し飛行甲板中央部のエレベーターを廃止した。飛行甲板幅は最大55mに達し、英国空母アークロイヤルのごとく前後一杯に飛行甲板を張出し、右舷に斜めに突き出した煙突は装甲空母設計の副産物と言われ、着艦時の艦尾付近の気流を整流しており本艦の外観的特徴になっている。
全長は269.5m達し、排水量は30,000tを超えた。速力は33.5㌩とわずかに落ちたが、蒸気式カタパルトの採用により搭載機の発進には何ら問題がなくなった。やや長大な艦橋構造は艦の中央でどっしりと構えている。
基準排水量33,675㌧ 全長269.5m 最大幅30.0m(水線)(船体)吃水8.9m 機関呂号艦本式水管缶8基 出力16万馬力 速力33.5㌩ 燃料搭載量5500㌧ 航続距離18㌩で9700浬 兵装 長10㎝65口径高角砲8基ボ式40㍉3連装機銃10基 搭載機 烈風30機 流星40機 補用8機 計78機 飛行甲板270m×幅33m最大38.5m 装甲30~155 甲板63mm 乗員1720名
搭載機は当初零戦36機、97式艦攻18機、99式艦爆18機、予備機各4機合計76機であったが1943年からは紫電改18機、烈風27機、天山艦攻9機、流星艦爆18、機予備機流星6機の78機となった搭載機の増加は戦闘機の翼の折り畳み構造の変化による。更に43年後期と44年竣工の「若狭、上総、薩摩」の3隻は烈風36機、流星攻撃機32機、予備機6機の74機になった。攻撃機の大型化よって搭載機数こそ減ったが十分な攻撃力を有した。だが戦闘ではこれでも足りない現実が続いた。これを補強するため機動部隊には航空機運搬目的の輸送空母が随行することになっていた。この艦についてもいずれ触れたいと思う。
本級が昭和16年から19年にかけて続々と就役してから機動部隊も編制を改めた。即ち、巡洋艦、駆逐艦の増勢により空母一隻対し輪形陣を作るだけの護衛艦が揃うことになったため、機動部隊は航空戦隊ごとに固有の護衛部隊を持つことになり、従来の様に水雷戦隊が空母の護衛に着くという編成は廃止となった。各防空護衛隊は巡洋艦1隻(又は2隻)、防空駆逐艦3隻(秋月型又は夕雲型)、対潜駆逐艦(島風型又は松型)2隻という編成に変わり、それぞれに司令と対空、対潜参謀が付属する形に改まった。更に昭和18年からは改翔鶴級正規空母と伊吹型軽空母で一任務部隊を編成することになり護衛駆逐艦の不足に対応している。編成は防空巡洋艦1又は2隻、対潜駆逐艦3隻、防空駆逐艦4隻が基本となった。
昭和18年に部隊編成が改められ航空戦隊とは、空母2隻で1単位となし2航空戦隊で1航空部隊、2航空部隊で1機動艦隊(10番以降の艦隊名称を付与する。)を構成することとなった。また新造戦艦もこれら機動部隊に随伴し、かつての様に戦艦だけの第一艦隊などという単位は廃止され、機動艦隊・航空部隊・航空戦隊の直轄部隊として各部隊にそのつど配属されることになった。それはB‐65級4隻と大和型3隻も例外ではなかった。ただ基本的には米戦艦の出撃状況に応じて大和型及び陸奥・長門は機動部隊を離れることになっていた。
またこれらの艦は全艦98(96)式65口径10㎝65連装高角砲を搭載したが、昭和18年就役艦からはレーダーと連動する2式射撃指揮装置を装備することになった。既就役艦も順次それらに換装された。また、機銃については昭和16年よりボフォース(戊式)40㎜機銃が独逸を通して入手できることになり国産化にも成功して順次25㎜機銃と併用されるようになった。これによって中空域での対空戦闘砲戦の空白域を解消した。
追記:改翔鶴型(艦首エンクロウズドバウ化)
改翔鶴型の8番艦土佐、若狭(昭和18年竣工)上総、薩摩(19年初期竣工)の4隻は加賀改装時より検討されていた艦首のエンクロウズドバウ化を実施されて竣工に至りました。ここに艦型図を示します。艦首は翔鶴の持っている美しい艦首をそのままかさ上げし波除のためナックルを付けた形を想定しました。また飛行甲板は、最前部の高角砲位置から“龍鳳”の飛行甲板改装時のように全体を拡幅し艦載機の大型化に対応しております。全長は3mほど増しておりますがトン数に変化はありません。もう一点は艦橋後部旧電探装備位置に今でいうCIC的な機能を持った電探管制室を設けその上に小型化した高性能対空電探を装備しました。元々本級の艦橋はそのほとんどが煙路で占められておりますが装備の新式化に添って改正された措置です。
描いてみたらどこかで見たことがある艦首だと気が付きました。そう米海軍の空母“レキシントン”なんです。これで馬力をあげて煙突が大型化すればまさしくレキシントンになってしまいますので艦橋後部に電探管制室を設けてみました。後部の25㍉機銃がまだシールド化されていますがこれは煙突が高い位置にあるのだから本来無用ですし重量を考えても外すべきです。また戊式40㍉機関砲が本来8基ほど搭載装備されなくてはならないのですが、本図ではそのまま25㍉3連装になっております。急遽何とかしなければと考えて書き足しました。その辺は勘弁して下さい。