12.島風改造案
改島風型
※本艦の就役に伴って神風級は哨戒艦になり番号艦名となった
昭和16年竣工・・・・・・・・島風 神風 旗風 (以上3隻舞鶴)
朝風 灘風 (以上2隻藤永田)
計5隻
昭和17年竣工・・・・・・・・春風 秋風 冬風
海風 追風 疾風
山風 江風(かわかぜ) (以上8隻藤永田)
涼風 松風 沖津風 (以上3隻石川島)
霜風 朝東風(あさごち) 大風
太刀風 西風(にしかぜ) (以上5隻玉野)
計16隻
昭和18年竣工・・・・・・・・南風(はえ) 北風(舞鶴) 早風
夏風 華風 (以上5隻藤永田)
葉風 沖風 汐風 (以上3隻石川島)
沼風 峰風 波風
野風 東風(こち) 浦風
昭和19年竣工・・・・・・・・羽風(はねかぜ) 菊風 (以上8隻玉野)
計16隻 (内未成2隻後年完成)
合計37隻
昭和19年追加竣工・・・ 天津風 巻風 時津風 (以上3隻石川島)
総合計40隻
島風が5連装61㎝発射管3基、速力40㌩の高速駆逐艦であったことは有名ですが、私はこの島風が機動部隊随伴の対潜艦であったならと仮定してみました。ご存じのようにマリアナ沖海戦では大鳳、翔鶴とも米潜水艦の雷撃で沈んでいます。更に信濃は竣工後わずか4日で潜水艦アーチ―フィッシュの餌食となりました。
この点を考えると機動部隊にも対潜駆逐艦は必要なことが分かります。松型では速力が低いように思うので本艦をその任に当たらせたいと前から考えていました。しかし、この艦は高速ですが機関を含めてスペックダウンしないと高価でもあり、戦時の急増にも適していないので何とかしなければなりません。そこでこの艦もまた戦時急造船体、簡易構造の上構造物で対処することになります。が松の項でも述べますがそんなに凝った船型にしなくても性能的には大差ないはずです。
物語はこのようになります。
夕雲型に続いて太平洋全域での活躍を期待して建造されたのが14年計画で建造された島風級である。ハワイより東の海域までの進出を想定したので航続距離は9,000浬に増大し、大洋航海のための居住性の改善、クリッパー型艦首の採用による凌波性の向上、主機出力を6万馬力に抑え主機の安全性、信頼性の向上を図った。3基あった魚雷発射管を2基も撤去したことが燃料タンクの大型化と居住区画の拡大に役立ったのは言うまでもない。また、魚雷発射管撤去後は対潜能力の強化などが施され後に対潜Y砲を搭載した。さらに昭和17年春からはY砲装備位置に第2刊で詳細を発表する15㎝対潜噴進砲を舷側両舷に装備し前方への攻撃が可能となった。図面は第2刊に表す。機関出力の低下によって速力は35㌩になったが実用上問題はなかった。35隻が計画され、33隻が竣工した。この後の艦は全て松型と橘型の戦時急造艦に移行した。
本級に付けた艦名であるがこれはweb上の日本海軍島風型を検索してみたら予定艦名として記されていたのでこれを使わせて頂きました。朝東風で“あさごち”、南風で“はえ”などは初めて見る艦名で驚くとともに日本語はすごいなと感じました。あらゆる事象に名がついているからです。筆者が若いころ関西に赴任しており、船関係の仕事をしていましたが、その地区の漁師が西風を“まぜ”と呼び“まぜが吹いたら引き返せと言っていたのを思い出します。