8.軽巡阿賀野級改造計画…3案

昭和12年度計画 阿賀野 佐世保     昭和15年3.01 (1940)
                         能代    横須賀     昭和15年10.15(1940)
                         矢矧    佐世保     昭和15年10.17(1940)
                         酒匂    佐世保      昭和15年11.5 (1940)

昭和13年度計画 相模(さがみ)横須賀  昭和16年3.15
                        千種(ちぐさ)佐世保   昭和16.年4.12
                        夷隅(いすみ)舞鶴    昭和16年5.05
                        鶴見(おもの)鶴見    昭和16年5.07
                        遠賀(おんが)室蘭    昭和17年9.25
                          錦 (にしき)室蘭    昭和17年10.8

以上の10隻が昭和15年3月から17年10月までに完成した。

  仮想艦を考えた時一番面白く、いじれる艦がこの阿賀野型ではないでしょうか。なにしろ、17年ぶりに建造した軽巡なのでとにかくカッコいい。だが現実は完成時に艦隊決戦などなく、まして水雷戦隊の旗艦として敵に酸素魚雷を命中させるべく駆逐艦を率いて35ノットで突進するなどというシーンはなかったからです。あったとすれば第1次ソロモン海戦(昭和17年 1942.8.7)までに完成することが条件でしたがいかにせん完成が遅すぎた。こういう処からも日本海軍は見切り発車せざるを得なかったことが分かります。

 しかし、この艦については巡洋艦なので船体の大きさも高角砲を搭載するのにまことに都合よく、米アトランタ級の対抗馬として九八式65口径10㎝連装高角砲を搭載すると幾つかのバリエーションが考えられ、防空艦としては傑作艦として生き返るように想えるのです。防空巡洋艦になって機動部隊に随伴する時この艦の真価が発揮されることになったはずです。勿論 この型を基本に戦時急造型の船型で簡易構造の修正案が当然企画され、順同型艦や改良型が建造されることになります。

 ところで九八式の九八とは昭和13年のことで計画時に主砲が完成していないことになってしまいます。しかも実績のない砲を主砲として乗せるはずがないので、この高角砲は2年遡って昭和11年に完成したことにして“九六式”にします。八九式高角砲が空母の対空火器として9年前に造られたのですから2年前倒しでもいいでしょう。

 第一案は本艦を防空巡洋艦としてその船体を利用し、96式65口径10㎝連装高角砲を8門搭載する案です。防空巡洋艦は米海軍のアトランタ級が先輩ですが阿賀野クラスも機動部隊の防空艦としてその任にあたることになります。

アトランタとは大きさもほぼ同大ですし速度その他の能力も引けを取りません。

 前述しましたが、筆者の考える航空戦隊には昭和17年からは空母1隻に対して改大淀級1隻、改阿賀野級1隻、秋月型駆逐艦2隻、夕雲または島風型対潜駆逐艦2隻の合計7隻で1部隊を構成します。

そのため、防空の見地からは阿賀野型は防空型でないと対空防御力が不足し輪形陣が構成できなくなる。この構成だと空母に6~8基、大淀・阿賀野に14基、秋月、島風夕雲に6基計26から31基の高角砲群が揃い、52~56門の対空砲が機動部隊を守ることになります。中間空域への対応はまだ未熟ですが初期の対空防御としては充分な高角砲陣になります。

 旧海軍の機動部隊を見るとハワイ攻撃のときでも12.7㎝高角砲は“総計”で48門ですから空母の分を入れると倍近い対空防御になります。これにVT信管並みの信管を付ければ、米海軍並の対空能力を持つことになります。(夕雲型の5吋砲は迎角こそ70度ありましたが装填時にはいちいち迎角を戻さねばならないという代物で対空砲としては問題をかかえていました。夕雲型改装計画参照)内容は下記になります。

 第1案は長10㎝高角砲を前後部にそれぞれ2基、舷側部にそれぞれ2基計8基の砲を搭載する。これだと大した改造は要らないし、魚雷発射管2基を外し飛行機搭載甲板の射撃指揮装置を移動すれば十分射界は確保できる。

 第2案は舷側の高角砲4基に波浪防止用のガードを付けたもの。

 第3案は前部の構造物上に9基目の長10㎝高角砲を装備する案です。しかしこの案では完全にトップヘビーになるから船体の拡幅が必要になり改造に時間が掛かかります。しかし、外形はこの状態が一番バランスがよく艦影もしまります。

第4案は前述の15.5㎝3連装砲を前後に2基6門搭載する案ですがこの物語は次回以降に発表したい。

 軽巡阿賀野型物語は以下のようになる

駆逐艦の引率という任務から解放された阿賀野型軽巡ではあったが造船台にあるこの艦をどのようにするかは未定であった。その時米海軍では防空巡洋艦という艦種を建造するという情報がもたらされ、艦政本部はただちに検討に入った。こういった建艦方針変更をこの艦たちは待っていたのかもしれない。
薗田造船監も設計中から作戦の変更を見越して密かに防空巡洋艦構想は持っていた。つまり、基本設計は氏のもとで完成していたのである。必ず防空艦は必要になる、しかも13年計画の秋月型駆逐艦はそれ専門の艦でありすでに進水し始めた。新型軽巡も空母部隊に随行して対空艦として防御に当たることが第一義となるはずである。それは彼の信念であり確信であった。この熱意に動かされた艦政本部は異例の速さで対処し、改造、改修はわずか2週間で承認されたのである。
同クラスは昭和12年計画で当初4隻の建造が承認されたが、昭和13年新たに6隻が追加され、全艦10隻が15年から17年1月までに竣工、就役した。
数々の案が検討されたが結局防空巡洋艦に設計を改めた。なお5番艦以降は簡略ブロック方式が大幅に採用された。
65口径10㎝連装高角砲は前部に3基、後部に2基、左右に各2基の合計9基、18門を搭載することになった。魚雷、航空艤装はすべて廃止され完全な防空巡洋艦となった。計画変更時にすでに船台にあった阿賀野と能代は船体幅の不足をバルジで補ったがその後の建造艦は船体の拡幅を行った。なお先の両艦は船体幅の関係で前部の第3砲塔は搭載されていない。このクラスの艦は機動部隊の直営部隊の対空指揮艦として改翔鶴型及び伊吹型の護衛にあたることになり、19年以降の激戦にその真価を発揮した。

  使用実績は良好で、電探の装備と音響信管装備の砲弾と共に対空戦闘艦として前方に7基14門、後方に6基12門、横方向に7基14門の高角砲の指向が可能になり、戊式40㎜連装機関砲の搭載もあって防空能力は増大した。

  基準排水量7,000㌧ 全長175m 幅16.0m(阿賀野、能代は15.8m) 吃水5.6m 主機艦本式ギアードタービン4基4軸 主缶呂号艦本式6基 10万馬力 速力35㌩10.5㎝65口径連装高角砲9基(8基)、戊式40㎜連装機関砲6基、25㍉3連装機銃4基、 装甲水線80㍉ 甲板30㍉