11.改陽炎・夕雲級駆逐艦
昭和11年計画・・・改陽炎型
野分(舞鶴) 嵐(藤永田) 萩風(石川島)
舞風(玉野) 秋雲(浦賀)
(昭和13年から14年竣工) 5隻
昭和12・13年計画・・・改夕雲型
夕雲 巻雲 風雲 長波 (以上藤永田)
巻波 高波 大波 清波
玉波 (以上玉野)
藤波 早波 濱波 沖波
岸波 涼波 (以上石川島)
朝霜 早霜 秋霜 清霜 (以上浦賀)
合計19隻
( )内は改造実施場所
陽炎型及び夕雲型の駆逐艦は水雷戦隊の魚雷攻撃に対応し駆逐艦としては最も優れた艦であり、船型もスマートでまさに素晴らしい艦隊駆逐艦でした。しかし、海戦そのものが航空機での攻防に変わったため存在が当初の役目からずれてしまった。主砲の迎角は70度まで上がったものの装填の時には水平の戻すという手間のかかる砲あり、一発撃つ間に飛行機ははるか彼方に移動してしまうから対空射撃には使えませんでした。対空防御に使えるような駆逐艦は秋月型と松型までなかったわけです。このため実史では全艦撃沈されるという結果になったわけです。
本著では11、12、13年度計画で建造された陽炎型4隻及び夕雲型19隻の主砲(12.7㎝連装砲D型)すべてを建造途中から65口径10㎝連装高角砲に換装し、防空駆逐艦として完成しました。こうするとこれらの全ての駆逐艦が開戦に間に合うことになり、ハワイ攻撃にはこの23隻の大半が機動部隊の直衛任務に就くことができます。また試験的にミッドウェー海戦までに戊式40㎜機関砲を“朝霜と早霜”に搭載し、これが予想以上の戦果をあげたので、以後中間空域の防空砲としてはこの砲が採用されたという想定にしました。
また、主砲の換装と同時に後部魚雷発射管を撤去しここに両舷用爆雷投射機2ないし4基を装備し、爆雷60個を搭載し対潜兵力を強化しております。朝霜以下の最終型は対潜迫撃砲を前部魚雷発射管の後に搭載し、遠距離の潜水艦に対して攻撃が可能となりました。12.7㎝砲から10㎝60口径砲への換装は一見無理のようですが、重量的には12.7㎝連装砲が32㌧あるのに対して98式65口径10cm連装高角砲は20トンしかないので3門で36㌧軽減されることになり、爆雷の搭載量と航続距離を増やす結果になったわけです。
また陽炎型の前期艦即ち 陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、の14隻は強力対空電探の開発により電探強化型駆逐艦として98式10㎝高角砲への換装とともにこれへの改造工事が行われた。次回で詳しく報告します。
処で日本の駆逐艦の建造所は舞鶴海軍工廠、藤永田造船所、石川島造船所、浦賀ドックの4か所あったわけですがこれらの造船所は場所も離れているのでこのことからも量産という視点からはあまり感心できるものではありませんでした。ところが“松型”になるとほとんどの艦を舞鶴と横須賀で建造しています。ということは昭和19年からは量産が出来たということになります。あと6年いや5年でも早くこれを民間工場でやっていたらと思うのです。