3.超甲巡B‐65 “剱”級、“鞍馬”級
「剱」 呉 昭和13.10(1938)
「黒姫」 横須賀 昭和13.11(1938)…筆者は“穂高”
「鞍馬」 三菱長崎 昭和15.10(1940)
「大雪」 神戸川崎 昭和15.12(1940)…同上“白馬”
内田広樹氏の著書によると本級は4隻になっております。おそらく金剛級の代艦として計画・建造されたものと推定されます。とすると建造は「大和」級より前になるはずです。ですから昭和13年と15年の竣工にしてみました。艦名は内田氏が「砲煙の巨竜」の中で命名したもので、超甲巡つまり巡洋戦艦であるから“山の名”でよいでしょう。
今から50年ほど前に雑誌「海と空」の写真ページの最後にこのクラスの基本艦型図が出ていたのを覚えています。細い線で薄くあまり良く分からない図面でしたが大和を引き延ばしたような艦型で強く印象付けられたことを覚えています。超甲巡が大活躍した内田氏の著署「砲煙の巨竜」の中での「鞍馬」はこのB‐65がもとになっていることは間違いなく、八八艦隊の「天城」級がB-64であったことから巡洋戦艦として計画されたことは間違いありません。
計画時の予算取りの名目は金剛・榛名の代艦であったと聞きます。したがって、2年後の計画では霧島・比叡の代艦が生まれたはずで同型艦は4隻となることも著書の通りだと思います。その場合でも金剛級は使用されたはずですから、最終的には信濃級まで含めると帝国海軍の戦艦は18隻になります。凄いですね18隻の戦艦。話は戻りますがB‐65が巡洋戦艦だったとすると八八艦隊の最後の巡洋戦艦4隻は何番になったんでしょうか?
内田広樹氏の作品の中の「剣」や「鞍馬」はカタパルトが艦尾にありB-65の原案とは違っています。艦型は大和をスマートにしたような形でしたから煙突と後部の艦橋の間に航空設備を設ける原案の方が後部の砲の射界良く、無理がないように思う。ただこの艦は設計段階で立ち消えになってしまったため詳細は全く分かりません。泉江三先生は著書の中でこの案の前に50口径31㎝3連装砲搭載艦はB-64という艦もあり、その後に795,796(昭和17年計画)もあったと述べています。私はどれがB-65該当するのかは分かりません。
米海軍が日本の計画を見越しB‐65の対抗馬アラスカ級を建造した話は有名な話ですが、米海軍の情報も当時は確度が低かったのでしょうか。ドイツのシャルンホルストにも対抗するとしてこのクラスを6隻も建造しようとしたのだから大した工業力です。しかし、それより以前に米海軍はアイオワ級を建造したためアラスカ級は中途半端な存在になってしまいその使い道には困ったようです。マリアナ沖海戦で米海軍が神風攻撃を受けるニュース映画のシーンがありますが、アラスカ級が空母の護衛をしている場面を見かけます。
もしB‐65の建造が実現したとしても内田氏の著書のように活躍できたか否かは微妙な問題です。なにせ備砲が31㎝50口径であったためで、せめて内田氏が主砲を55口径あるいは60口径位にしてくれたら36㎝搭載艦には十分対抗できたと思います。この艦本来の目的である“金剛型代艦”という点を考慮すると増勢した空母部隊の防空艦として戊式(ボフォース)40㎜連装をハリネズミのように装備し、部隊の一編成として防空任務にあたるという使い方がこの艦にはもっとも適した使い方です。いずれにしても艦型だけを見るとどんな艦にもなりうるし、用兵者の使い方で大いに活躍した艦になったことでしょう、内田氏のそんな想いを感じます。ぜひ竣工して欲しかった興味の尽きない巡洋戦艦といえます。
基準排水量31,400t(32000)全長240m(246.4m 幅27,5m(27.7m)
吃水8.8m(9.72) 兵装31㎝3連装砲×3基(30.5㎝×3基) 98式10㎝65口径連装高角砲8基(5吋連装砲6基)出力16万馬力(15万馬力=エセックス級と同じ) 速力35㌩(同じ)
※カッコ内はアラスカ級
こうしてみると期せずしてB‐65はアラスカとほぼ同大であることが分かります。