80.駆逐艦“朝風(あさかぜ)”級
建造所 | 竣工日 | 配備基地 | |
1.朝風(あさかぜ)) | 三菱長崎 | 昭和60年(1985)3月 9日 | 横須賀 |
2.春風(はるかぜ) | IHI石川島 | 昭和60年(1985)4月13日 | 横須賀 |
3.山風(やまかぜ) | 三井玉野 | 昭和60年(1985)5月10日 | 呉 |
4.雪風(ゆきかぜ) | 神戸川崎 | 昭和60年(1985)5月22日 | 呉 |
5.巻風(まきかぜ) | 浦賀船渠 | 昭和61年(1986)3月 7日 | 佐世保 |
6.海風(うみかぜ) | JMU舞鶴 | 昭和61年(1986)4月18日 | 佐世保 |
7.江風(かわかぜ) | 三菱長崎 | 昭和61年(1986)5月25日 | 舞鶴 |
8. 谷風(たにかぜ) | IHI石川島東京 | 昭和61年(1986)5月30日 | 舞鶴 |
9.初風(はつかぜ) | 三井玉野 | 昭和62年(1987)4月 7日 | 横須賀 |
10.峯風(みねかぜ) | 浦賀船渠 | 昭和62年(1987)4月28日 | 横須賀 |
11.島風(しまかぜ) | 神戸川崎 | 昭和62年(1987)5月13日 | 呉 |
12.旗風(はたかぜ) | 三菱長崎 | 昭和62年(1987)6月 2日 | 呉 |
13.沖風(おきかぜ) | JMU舞鶴 | 昭和63年(1988)4月18日 | 佐世保 |
14.太刀風(たちかぜ) | JMU舞鶴 | 昭和63年(1988)4月30日 | 佐世保 |
15.浦風(うらかぜ) | IHI呉 | 昭和63年(1988)5月22日 | 舞鶴 |
16.松風(まつかぜ) | 神戸川崎 | 昭和63年(1988)5月24日 | 舞鶴 |
17.澤風(さわかぜ) | 三井玉野 | 平成元年(1989)5月 8日 | 横須賀 |
18.涼風(すづかぜ) | 三菱長崎 | 平成元年(1989)5月23日 | 呉 |
19.潮風(しおかぜ) | IHI石川島東京 | 平成元年(1989)6月 5日 | 佐世保 |
20.花風(はなかぜ) | 浦賀船渠 | 平成元年(1989)6月13日 | 舞鶴 |
【要目】
基準排水量 3,600㌧ 満載排水量4,550㌧
全長146m × 全幅14.7m × 吃水4.45m(前部ソナー底 6.7m )
機関:LM2500ガスタービン2基 40,000馬力 2基 速力28.5㌩
航続距離:20㌩で4,500浬
兵装:スタンダードSM-2MR/アスロックSUM用VLS × 1基(64セル)
艦対艦ミサイル × 8基 発展型シースパロー 8連装 × 1基
ファランクス20㎜CIWS×2基 76㎜62口径単装両用速射砲 × 1基
324㎜3連装対潜魚雷 × 2基
昭和60(1985)年妙高級イージス巡洋艦の装備が始まったとき、昭和36、37年に建造したミサイル駆逐艦“澤風(さわかぜ)“級が退役の時期を迎えた。海軍では構想中の本級をミニイージス艦として整備したいという意向があったので当初はその方針に基づいて設計が開始された。しかし、イージスシステムを小型するには技術的にあと10年の歳月が必要と予測されたため本級の建造方針が不明確になった。そのような状況の中でも艦隊は艦艇の刷新を必要とした。そこで以前より議論されていたイージス艦(2隻)配備の機動部隊にミサイル補給艦を配置するという構想を改正し、本級がそのミサイルを分散して搭載し機動部隊を構成するという案が検討され実施されることになった。すなわち艦隊全体の防空はイージス艦に行い、本級はイージス艦の指示に従いミサイルを発射して管制・誘導業務はイージス艦に任せる、これにより本級にはイージス設備は設けられず主たる任務は対潜攻撃及び己艦防御となった。対潜攻撃は従来どおりアスロックとヘリによる対潜攻撃を主力としたものでそれを実行するヘリは当初はHSS-2Bで計画され後に新型のSH-60型となった。このようにして生まれたのが”朝風(あさかぜ)”級駆逐艦であった。下図は初期の構想に基づく案である。
上図はSH-60シーホークである。当初本級に搭載するヘリはHSS-2Bが予定されていたがSH-60が昭和54(1979)年に配備されてから対潜作戦機として非常に優秀であることが分かり、これに替えられた。また、SH-60もその後日本で開発されたSH-60Kに変更された。
SH-60ヘリ
全長19.75m × 高さ5.2m 重量6,895㎏ 全備重量8,055㎏
最大重量9,927㎏ エンジンGET-700ターボジェット(1,410kw)
速度333㎞/h 巡航速度140㎞/h 航続距離 834㎞
武装:Mk46 or Mk50短魚雷 × 3基
AGMヘルファイア(空対地ミサイル) × 4基
上図はVLS(64セル)を76㎜単装砲の後部に置き換えた修正図である。砲の射界を考えるとこの方が自然である。前部マストの四角で囲んだ部分がイージスシステムのアンテナの装備予定位置であった。しかし当時のイージスシステムはこの大きさには収まらなかった。
本級は澤風級ミサイル駆逐艦の後継と位置付けられ、当初の5年で20隻、その後追加で20隻、計40隻が計画されたが後期の20隻は計画変更により別設計となった。その他発展型シースパロー、20㎜CIWSファランクス機関砲、新型複合艇の搭載など各方面からの要求が重なり設計変更はかなり頻繁に行われた。
上記の図でほぼ完成であったが更に発電機の大型化に対応すべく煙突も更に大型になった。第4図でもまだマスト上に四角が描かれており、イージスシステムをあきらめていない様子がうかがえる。朝風級は船首楼を採用したため外洋でも凌波性が良く艦隊配備後の評価はおおむね良好という評価をもらい各地方に配備された。