74.空母“駿河”級の第2次改造

図1 1960年改造工事成った空母“駿河”


  【要 目】
基準排水量35,200㌧   満載排水量44,050㌧
全長273.7m × 幅31.5m × 吃水10.3m 
機関:呂号艦本式缶 × 8基  タービン4基4軸  16万馬力  速力31.5㌩
950馬力発電機 × 6基  18ノットにて10,000浬
兵装:12.7㎝単装自動砲 × 3基  40㎜連装機関砲 × 2基

   
第1次改造 第2次改造 施工現場
駿河 昭和17.05 竣工 昭和29~31(1954~55) 昭和33.10~35.12(1958~60) 横須賀
尾張 昭和18.09 昭和30~32(1955~57) 昭和34.02~36.04(1959~61) 佐世保
若狭 昭和18.11 昭和28~30(1953~55) 昭和34.09~36.11(1959~61)
土佐 昭和18.11 昭和28~30(1953~55) 昭和34.08~36.10(1959~61) 三菱長崎
出雲 昭和18.02 昭和29~31(1954~56) 昭和35.06~37.03(1960~62) 神戸川崎
上総 昭和19.01 昭和30~32(1955~57) 昭和35.08~37.10(1960~62) 横須賀
薩摩 昭和19.01 昭和30~32(1955~57) 昭和35.09~37.12(1960~62)
相模 昭和19.06 昭和31~33(1956~58) 昭和36.08~38.09(1961~63) 佐世保
近江 昭和19.08 昭和32~34(1957~59) 昭和37.04~39.11(1962~64) 三菱長崎

 第2次大戦後の航空機の発達は目覚ましく、発進基地として空母は大規模な改造を余儀なくされた。本稿は63項に引き続き1960年代からの第2次改造を追ってみる。太平洋戦争後、改翔鶴級空母15隻は改大鳳型と呼ばれることになったが1960年代に大鳳級と薩摩級とに呼称が変わり、用途に応じた改造をされることになった。

大鳳、祥鳳、瑞鳳、龍鳳の4隻は対潜空母に艦種変更され、カタパルトや着艦制御索などを撤去してヘリコプターを運用する対潜空母になった。60年代には更に陸戦隊の揚陸強襲艦となるが詳細は後述する。

“薩摩”以下の9隻は“安芸”級とともに1953~57の第1次改造でアングルトデッキ、エンクローズドバウ、舷側エレベータ等を採用し、第一線の攻撃空母として活躍することになった。しかし、搭載機の大型化によりエレベータの位置変更などの第2次改装を余儀なくされた。その改造は前部カタパルト間に残っていたエレベータを廃し、左舷後部に移設して格納庫をより効率的に運用することを企図し、更にエレベータの面積を16.8m×13.7mに拡大し、能力も38㌧に改修した。また、カタパルトも米海軍のC-11に相当する61型(長63.4m)に換装した。新エレベータの設置などで左舷の重量が増したためバルジを両舷に装備した。このため船体の最大幅は31.5mとなり基準排水量も35,200㌧、満載排水量は44,050㌧と増加した。速力は31.5㌩に低下したがカタパルト性能が向上したため航空機の運用には問題がなかった。またかねてから懸念されていた飛行要員の待機所も船体内に移設し、爆撃による搭乗員の被害を避ける措置をとった。これに伴い重装備の飛行乗員の移送用に専用エレベータを設置した。また、救命用の“木枠組み筏”を廃し、全て膨張式の救命筏に替え乗員人数分を確保した。その他レーダー通信機器もさらに高性能のものに交換し、薩摩級には3次元レーダーが搭載された。この改造は1958年から64年の7年間で急速に行われ、艦命は15年ほど延長することになった。この後、定期修理の度に小改良が実施され各艦各々の機器の改良が行われていた。

 1960年代、我が海軍は搭載機の開発に遅れ、米海軍の艦上機を輸入することになった。第一の候補はA-4Bスカイホークでこの機は搭載能力も多くしかも非常に安価な機体であったので国内生産よりも輸入の方を選択され約500機が輸入して1958年から実戦配備となった。海軍は本機を戦闘、攻撃両用の機体として使用した。

図2 A-4Bスカイホーク


  乗員1名  全長12.2m × 幅8.38m × 高さ4.57m    翼面積24.15㎡
  機体運用時重量8,318㎏  最大離陸重量11,136㎏
  機関 P&W J52-P8ターボジェット(41KN 4,220㎏) × 1基
  速度1,077㎞/h=M 0.88   航続距離3,220㎞   実用上昇限度 12,880m
  火器搭載重量2,800㎏
  武装:コルト20㎜機関砲 × 2基(弾数各100発)
  ミサイル:サイドワインダー× 4発 AGM-45-65-62-12等
  ロケット弾 (5吋ズーニー) ×16発 ※米海軍では1955年より実戦配備
 

図3 F-8クルセイダー


  乗員1名  全長16.53m × 幅10.87m(折畳み時6.86m) × 高さ4.8m
  翼面積34.84㎡   機体運用時重量7,956㎏    最大離陸重量 13,048㎏
  機関 P&W J57-P-20(推力40.7KN 4,189㎏) × 1基
  速度 1,921㎞/h M 1.7  航続距離2,550~2,795㎞  実用上昇限度16,200m
  武装 コルト20㎜機関砲 × 4基 弾丸500発(各125発)
 
  上記のF-8クルセイダーはマッハ1.7の速度を持つ海軍最速の戦闘機であったが機体が大きいという理由で当初は導入を見送られた。その後、国産のジェット戦闘機がマッハ1.7の性能を出せないことが明らかになったので少数導入されたが、1965年当時米海軍はF-4ファントムを運用しており、駿河級空母にもF-4ファントムを搭載することになった。ファントムについては技術維持のため国産が推奨され国内での生産が1962年より開始され述べ450機が生産された。生産拠点は中島飛行機改めスバル工業と三菱製作があたった。
 

図4 F-4ファントム


  乗員2名 全長19.2m  ×  幅11.71m  ×  高さ5.02m 翼面積49.2㎡     機体運用時重量18,825㎏   最大離陸重量 機関:J79-GE-17×2基 (推力5,360㎏×2・アフターバーナー8,120㎏ ×2基) 速度2,370㎞/h M 2.2    航続距離3,184㎞    実用上昇限度18,975m 武装:M61バルカン砲 ×1基(弾数639発) 搭載兵器:AIM7 ×4基  その他多数 

図5 強襲揚陸艦となった“大鳳”


 

         
対潜空母改造 襲揚陸艦改造 施工現場
大鳳 昭和16.12(1941) 竣工 昭和30.08~31.11(1955~56) 昭和35~37(1960~62) 横須賀
祥鳳 昭和17.02(1942) 昭和30.10~32.05(1955~57) 昭和35~37(1960~62) 佐世保
瑞鳳 昭和17.01(1942) 昭和31.08~32.09(1956~57) 昭和36~38(1961~63)
龍鳳 昭和17.06(1942) 昭和32.04~33.10(1957~58) 昭和37~39(1962~64) 石川島

基準排水量34,000㌧     満載排水量42,800㌧ 全長269.5ⅿ × 船体幅29.5ⅿ  × 吃水9.8ⅿ 機関;ロ号艦本式缶 × 4基  タービン2基2軸   8万馬力  速力27㌩ 950馬力発電機 × 6基   航続距離18㌩で10,000浬 兵装;12.7㎝単装自動砲  ×4基  搭載機:CH-46 10機   SH-2 35機 後に UH-1 10機  HSS-2B 30機  
 
  1950年代後半からソ連の潜水艦が増強され対潜空母の必要性が叫ばれるようになり、大鳳以下の4隻がその任に当たることになった。龍鳳がまず実験艦となりヘリコプターの対潜能力の実験にあたったが、龍鳳の実験中の結果を大鳳に反映させており改造完成は大鳳の方が早い。改造の内容は以下のようであった。 ・カタパルトや着艦制御索は撤去する。 ・中央部エレベータを廃し、中央部左舷側にエレベータを設置する。 ・CICを艦内に移設し拡充を図ったほか、ヘリへの指示を的確にするため通信機器は最新のものに交換する。 ・乗員数の減少のため10.5㎝高角砲は全て撤去し、5吋自動砲4門に換装し、40㎜機関砲は全て撤去する。 昭和35(1960)年度より島嶼保全のため、対潜作戦には駿河級の一部をあて、本級4隻は陸戦隊の上陸作戦への対応することになり、格納庫内に兵員900名及上陸作戦用機材のスペースを確保するなどの改造が行われた。これに伴いタービンを2基、缶4基を外し速力は27㌩に低下した。4隻は北方方面に2隻、南方方面に2隻の配置となった。小規模な改造をしつつ1970年まで任務に就いた。搭載機は当初SH-2Gと2ローターのCH-46であったが、70年以降はHSS-2B とUH-1に代わっている。


図6 大鳳級の竣工時


  本艦は米海軍のエセックス級の対抗馬として建造されたといわれるが、基本的には翔鶴級では不十分であった防御力の強化と搭載機数の確保を目的で一回り大型化した艦であった。竣工時の基準排水量も33,600㌧ 全長も269.5ⅿであり、エセックス級より8,000㌧も大きく彼らを意識したものではなかった。防御力強化の結果、一隻も戦沈艦がなく太平洋を縦横に駆け回って活躍し、その強靭さを示し、以後の日本空母の基本となった。