79.イージス巡洋艦“妙高”級



 1.妙高(みょうこう) 三菱長崎 昭和60年(1985)
 2.鳥海(ちょうかい) IHI石川島 昭和60年(1985)
 3.高雄(たかお) 呉工廠 昭和60年(1985)
 4.摩耶(まや) 横須賀工廠 昭和61年(1986)
 5.愛宕(あたご) 三菱長崎 昭和61年(1986)
 6.伊吹(いぶき) IHI石川島 昭和62年(1987) … 一部改造
 7.生駒(いこま) 横須賀工廠 昭和62年(1987)
 8. 鞍馬(くらま) 呉工廠 昭和64年(1989)
 9.岩木(いわき) 神戸川崎 昭和64年(1989)

全長172.2m × 全幅20m × 吃水6.5m
機関:COGAC LM2500 × 4基(100,000馬力) 速力33㌩
航続距離:20㌩で6,000浬  乗員320名
 
兵装:60口径5吋自動砲 ×1基  20㎜CIWS × 2基
    25㎜単装機銃 × 2基   8連装シースパロ―短SAM × 1基 (後日21連装RAM × 1基へ)
    41型VLS(61セル)×2基(122セル)4連装対艦・地ミサイル×2基
    SH-60BLAMPSヘリ × 1機
    短魚雷 × 2基(60発)
    Anspg-60 (円形のパラボラアンテナ径410㎜)
レーダー:52型 レーダー(AN/spy-1A/B相当)多機能型4面 ×1セット
      55型 対水上見張り用  ×   1基
      64型 航海用レーダー  ×   1基
      9B型 目標捕捉/砲射撃指揮レーダー × 1基
      62型 SAM射撃指揮機   × 4基
ソナー :53型 艦首ソナー   × 1基
      19型 曳航式ソナー × 1基
電子戦機器:32型 電波探知機妨害装置  × 1基
        6連装デコイ発射機      × 8基
        49型デコイ装置       × 4基
        25型対魚雷デコイ装置    × 1基

 米海軍は第2次大戦の防空体制を見直し1958年からタイフォン計画として画期的な艦隊防空システムの開発にかかった。しかし、構想に対する技術がまだ十分でなく頓挫し1963年には中止した。イージスシステムはその後仕切り直しをして作り上げたソ連飽和爆撃に対する米海軍の回答である。しかし、当時の海軍長官が交代の都度、搭載艦を駆逐艦にするか原子力巡洋艦にするかでもめ1965年代まで計画は遅々として進まなかった。1967年ロシア海軍の攻撃によるエジプト駆逐艦エイラート撃沈という事件が発生すると対艦ミサイルと対空ミサイルの必要性が一気に増し、それへの対処を実行しなくてはならなくなる。策は色々考えられたがその中で1974年駆逐艦を大量建造したリットンインガルス造船所からスプルーアンス級の船体にイージスシステムを搭載することが可能であると提案された。米海軍はこの提案を受け入れ1980年1月巡洋艦として建造することでイージス巡洋艦タイコンデロガ級が誕生した。
日本では戦後、大戦型巡洋艦の改造で艦隊防御のミサイル機能を維持してきたが昭和50年(1975)より次期新型巡洋艦の研究が開始された。当時米海軍では初期型イージスシステムは完成の域に達しており、翌年からイージス巡洋艦タイコンデロガ級の建造が始まろうとしていた。日本海軍でも複数目標の同時防御は大戦後の防空システムとして必要不可欠なものとして認識されておりその開発にかかっていた。イージスシステムとはレーダーをはじめとするセンサー群とパソコンとデータリンクした情報システムとミサイル発射機能との3つを統合して運用するシステムであった。海軍は三菱を始めNEC・東芝・ソニーなどの国内各社の担当箇所を分け、昭和50年(1975)より開発開始。58年(1983)には当初の開発段階をクリアして新型巡洋艦への搭載を決定した。その性能は探知距離230㎞、探知目標100個以上というものであった。昭和58年(1983)に就役を開始した“吹雪”級駆逐艦に採用した垂直発射機能、いわゆるVLSの採用はイージスシステムの効率をより引き上げることになった。
このような経過で完成したのが“妙高型”巡洋艦である。56年ぶりに旧海軍の重巡洋艦名が復活することになった。新時代のイージス巡洋艦としては新しい艦名でという意見もあったがここでは旧海軍派が当初の4隻の艦名を奏上してしまった。この時期艦名は海軍大臣が決めることになっていたこともあって懐かしの艦名が復活したわけである。6番艦以降は戦中の未成艦の名が選ばれたがその経緯は不明である。なお戦後は条約があるわけでもないので巡洋艦という艦種に一本化され、重・軽の区別はなくなった。それに伴い巡洋艦には“山”の名がつけられることになったが“川・河”の名は駆逐艦につぐフリゲイト艦に採用されることとなった。この艦名基準を制定した当時は駆逐艦と巡洋艦との間くらいの大きさの艦がフリゲイトであった。



 6.伊吹(いぶき) IHI石川島 昭和62年(1987)
 7.生駒(いこま) 横須賀工廠 昭和62年(1987)
 8. 鞍馬(くらま) 呉工廠 平成元年(1989)
 9.岩木(いわき) 神戸川崎 平成元年(1989)

全長172.5m × 全幅20m × 吃水6.5m
機関:COGAC LM2500 × 4基(100,000馬力) 速力33㌩
航続距離:20㌩で6,000浬  乗員310名
 
兵装:60口径5吋自動砲 ×1基  20㎜CIWS × 2基
    25㎜単装機銃 × 2基   8連装シースパロ―短SAM×2基  (後日21連装RAM × 2基へ)
    41型VLS(61セル)× 2基(122セル)
4連装対艦・地ミサイル×2基
    SH-60B LAMPSヘリ × 1機
    短魚雷 × 2基(60発)
レ―ダー:52型 レーダー(AN/spy-1A/B相当)多機能型4面 ×1セット
      55型 対水上見張り用  ×   1基
      64型 航海用レーダー  ×   1基
      9B型 目標捕捉/砲射撃指揮レーダー × 1基
      62型 SAM射撃指揮機   × 4基
ソナー :53型 艦首ソナー   × 1基
      19型 曳航式ソナー × 1基
電子戦機器:32型 電波探知機妨害装置  × 1基
        6連装デコイ発射機      × 8基
        49型デコイ装置       × 4基
        25型対魚雷デコイ装置    × 1基
上記は妙高型後期型であり概形も一部違っているので伊吹型とも云われる。安芸型空母を中心に編成された機動部隊は80年代までに3編成とされそれぞれ北方海域(日本海含む)太平洋海域、沖縄南方海域に配置されていた。本級の計画隻数は9隻であり各機動部隊に2隻ずつ計6隻、修理・改造期間中3隻として9隻となった。しかし、このシステムを効率的に使うにはより多くの艦がこのシステムを搭載することが望ましく海軍ではより小型のフリゲイト又は駆逐艦の開発にかかることになった。
また、イージスの性能を利用して空母機動部隊に伴走するミサイル発射専用艦という発想が現れ、各隊1隻ずつ計5隻が計画・建造されたがこれらの艦については後述する。