60.ジェット戦闘機“震電”

  2018年11月末に和泉祐司氏著の「天空の覇戦」という架空戦記小説が発売されました。和泉氏の著書はしばらく書店になかったので「久しぶり!」と思い手にしたのですが、これが素晴らしい内容だったので急きょ“震電”を取り上げてみました。第1巻「天空の覇戦」の内容は終戦も近づいた昭和19年、日本軍はジェット戦闘機“震電”を完成させ、東京を爆撃に来たおよそ100機のB-29に戦いを挑むというものですが、それ以前にどんな風に機体やエンジンを製作したかを非常に詳しく描いていましてぐんぐん引き込まれます。震電についてはいずれこの稿でも取り上げるつもりでしたが、和泉祐司氏ほど航空機の知識がある訳ではないので控えておりました。今回の「天空の覇権」は私の不明な部分を全て描いてくれていますのでご一読をお勧めいたします。ここでは、主にエンジンをガスタービンに換え、その後どう発展していったかを考えてみました。


1.震電オリジナルの図面

【諸元】
  全長9.76m × 全幅11.14m × 全高3.55m  主翼面積20.50㎡
  自重 3525kg  最大離陸重量 5227kg
  主機(プロペラ機としての主機):三菱ハ43‐42型(燃料噴射式・星型複列18気筒・金星を18気筒化) 直径1230㎜ 重量960kg
  プロペラ径3.4m   離昇出力 2,200馬力  速度750㎞/時(高度8700m)  巡航速度425km/時
  ※誉 1180㎜ 重量835 kg 径1180㎜  離昇出力2000馬力

 上記の図面が戦闘機“震電”終戦時の姿です。無論、これは試作機ですしこのままでは直ぐ量産というわけにもいかず実戦に参加するにはまだまだ改良改修が行われると思いますが、それでもあの終戦間際に世界最初のエンテ型戦闘機を完成させたことは素晴らしいことで胸を張ってよいことだと思います。この機にはさまざまな修正すべき点が発生しましたが、本稿では“ジェットとして完成”という点で描きました。ですから、プロペラ機の時に発生した
 ①   右への傾きのままの飛行(プロペラカウンターの発生)
 ②   急激に離陸モードに入った時のプロペラ損傷
 ③   プロペラ保護のための長すぎる脚と車輪
等の問題はそれぞれ解決しております。ほとんどがプロペラ機関を機体後部に取付けるというエンテ機独特の構造から発生した現象ですから…。左右の垂直尾翼の下部にある車輪等と共に、ジェット戦闘機になれば上記の諸問題は一応クリアできます。
  問題はガスタービンエンジンの出力です。2000馬力は無論ですができれば3000馬力以上が要求されるでしょう。小説内では空技廠のものがネ30、石川島のものがネ130、中島と日立の共同制作のものがネ230(それぞれ3000馬力目標)三菱と新潟鉄工のものがネ330(4000馬力級)と命名されそれぞれのプロジェクトは研究・試作に取り掛かります。B-29の護衛戦闘機であるマスタングやF8Fなどが内燃機関でありながらいずれも700㎞/時以上の速度発揮が可能であると想定され、震電にはこれを凌駕すべく850㎞/時以上の速度が要求されました。“回天”(戦局を逆転するとの意)として時速850㎞/時を実現する為には三菱ネ330が搭載されることになります。


2.ネ20搭載試作:震電の図

【諸元】
  全長9.76m × 全幅11.14m × 全高3.55m  主翼面積20.50㎡
  自重 3525kg  最大離陸重量 5227kg
  【主機】ネ20 出力※S17年7月29日
  全長3000㎜ × 直径620㎜ 重量 450kg  空気圧搾機8段軸流式 
  圧縮比3.0 最大回転11,000回転/分 燃焼ガス温度700度 
  推力475kg=2000馬力 強制空冷ファン燃料噴射ポンプ付き

  上記は空技廠が試作機として完成させた震電の図面と諸元です。この機はネ20というガスタービン機関を搭載し、2000馬力級戦闘機(機関重量はレシプロ機関の半分)としてはすでに充分な性能を有しておりました。しかし、この性能ではB-29の爆撃を阻止する“回天”としては充分とは言えません。天空の覇戦ではネ20搭載の震電が完成したこの時点で前述した3プロジェクトチームに開発を命じております。すなわち

 空技廠の開発  :ネ30      推力 (2000馬力以上)
 石川島の開発  :ネ130    推力900kg級を開発(3000馬力)
 中島の開発     :ネ230    〃 900kg 〃    〃
  三菱と新潟鉄工:ネ330    〃 1200kg  (4000馬力相当)

  以上4つの開発チームが組織され、各社はそれぞれ完成に取り掛かることなります。しかし、最大の壁はタービンの翼の破損問題であり、当時の日本には高温に適応するタービン翼がまだありませんでした。その為15~20時間で亀裂が発生するという致命的欠陥を内在しておりました。
  処で川又千秋氏の名著「翼に日の丸」でもネ330火燕(かえん)12型が新型ジェット戦闘機:閃風(せんぷう)の発動機として採用されているのですが偶然の一致でしょうか、はたまた和泉氏もこの名著をご覧になったのでしょうか。

  ガスタービン機関の最大の壁はタービンの翼の焼付きという問題でした。これを解決しないと完成しません。しかし、昭和17年ドイツより潜水艦で野村海軍大臣が帰国し、この時同乗して来日したドイツ人技師が焼付き問題を解決してくれたのです。同時に電気溶接構造やモノコックボディーの採用によりリベット箇所を大幅に減らしました。これにより工数が大幅に減ることになったのです。昭和18年1月には三菱のネ330が完成し、春から鈴鹿にて試験運転が開始されました。この時大型プロペラ取付のために異常に高かった前後輪は600㎜短縮され、機体下部からの地上高は1300㎜に改修されました。また、操縦席のキャノピーは涙適型の対弾ガラスとなり視界は大幅に広くなりました。

3.ネ330搭載・試作震電33型の図

【諸元】
  全長9.76m × 全幅11.2m × 全高3.76m 主翼面積20.5㎡
  全備重量 4950kg   自重3525kg   最大離陸重量5227kg
  主機:ネ330:全長4000㎜ × 直径880㎜  重量 1160kg 
  圧縮機軸流7段 圧縮比3.0 燃焼室直流型7個 タービン軸流衝動型1段  7600回転/分  推力1290キロ 出力4000馬力 
  最高速力860km/時(高度 8700m) 燃料搭載量1450ℓ  航続距離963㎞
  0.664km/ℓ  離陸距離1021m 着陸距離1030m 

【兵装】 
  30㎜機関砲 × 4機(弾薬各120発)

4.量産型震電改33A型の図

  米艦隊の強力な対空砲火に手をこまねいていた海軍は本機の画期的な速度に注目し、艦載機としての適性を確かめるため試作型の震電33型の艦上テストを開始しました。米海軍の対空砲火をくぐり貫けるスピードに注目したわけです。本稿では軽空母の“讃岐”が昭和18年4月にその任を命じられ、カタパルト改修を済ませ、艦載型”震電33B“型の発艦実験を開始しました。発着艦実験は成功裏の終わり艦載機としての”震電“は海上でも運用できることが分かりました。

※ 空母艦上における発艦実験中の震電


 問題になったのは航続距離の短さでした。1000km弱の航続距離では艦載機としては役に立ちません。空技廠ではこれに応じて操縦席後部からタービンまでを980㎜ほど延長し、ここに20㎜厚のゴムで被覆されたオイルタンク3個(1,000ℓ)を俵積みに増設し、680kmの航続距離を延長することに成功しました。さらに外部に500リットル増層を懸架することになり約2000kmの航続距離を確保しました。これが量産型である震電改33A型となり、艦載型は同じく震電33B型となりました。両機は基本的に同型であり着艦フックの有無程度の相違点がありません。

5.艦載型震電改33B型の図


【諸元】

  全長10.58m × 全幅11.2m × 高さ3.176m(機体下部と地上間1.3m)
  主翼面積22.5㎡ 全備重量 6215kg   自重3855kg   最大離陸重量6480kg
  主機:ネ330:全長4000㎜ × 直径880㎜  重量 1160kg 
  圧縮機軸流7段 圧縮比3.0 燃焼室直流型7個 タービン軸流衝動型1段  7600回転/分  推力1290キロ 出力4000馬力 
  最高速力860km/時(高度 8700m) 燃料搭載量2950ℓ(増層含む)  航続距離2000㎞ (0.68km/ℓ)  

【兵装】 
  30㎜機関砲 × 4機(弾薬各120発)爆弾60kg×2又は250kg×1
  対空墳進弾:火炎弾(かえん)×6発 (径88㎜ × 長さ110㎜ 翼下)
        射程距離1500m 初速500m/秒

  以上が艦載機として完成した震電33B戦闘機の概要でした。生産数は33A型が4680機、B型艦載型が980機でした。下図は発進時の前脚を最高度状態にしたものと格納庫内で収容されている状態を示した図です。

 6.発進時の状態の図 

 この状態でカタパルトに据え付けられます。米海軍がF86Fセイバーの発艦訓練している写真を発見し、カタパルト発進では前輪の高さを目いっぱい上げ、揚力を得ていたようです。ベトナム戦争時のF4Eもこの様な状態で発艦していたようです。上記の図もそれに習っています。

 7.格納状態の図(横図及び平面図)

 翼を畳んだ格納状態の震電です。この時の幅は6mになり、零戦より小型になりました。戦後完成したG-14型空母(安芸)に本機を搭載したところ110機が可能であることが実証されました。

 最後は艦攻型“震電44型”です。大戦には間に合いませんでしたが初飛行は昭和20年8月20日でした。機関砲を20㎜に小型化しそのスペースと燃料タンクの一部を取り出したスペースを利用し乗員を2名としました。機体としては震電33型Bと遜色のない性能が維持されましたが、大型の魚雷や爆弾の懸架に難が多く、試作機を含め48機が生産されました。機体の安定を維持するために垂直尾翼を設けたのですが、攻撃機に要求されるものは搭載量とその格納方法にあるという海軍の要求には応えることが出来ませんでした。追加で50機が生産されましたが乗員2名という特性を生かして練習機として乗員の育成に寄与しました。

8.艦攻型震電44型の図



震電攻撃隊発進!
 ※ 空母安芸と駆逐艦紅雲そして震電

  

上図は訓練中の空母“安芸”と新鋭駆逐艦“紅雲”、そして艦上戦闘部隊として配置された“震電”の雄姿です。安芸は終戦間際に完成したG-14クラスの空母で、海軍史上初めてジェット戦闘機部隊を載せました。昭和22年(1947)の姿です。艦橋周辺の甲板におかれていた射撃指揮装置等が艦橋上に移設されすっきりしました。艦橋も航海甲板の上にもう一段戦闘甲板が設けられ、英空母のイーグル級に似てきました。この後ジェット機の発達とともに米空母エセックス級やミッドウエー級並の改造が行われる予定です。これは大鳳級も戦沈艦を除いて同様の経緯となります。
 艦載砲は一式55口径12.7㎝自動砲に換装されています。なおこの砲は一式自動砲でも空母用に砲塔を簡略化したⅡ型です。発射速度は40発/分で、この砲が張る弾幕は強烈なものでした。40㎜機関砲が重量軽減のために撤去されましたが、この時期になると艦攻による攻撃も以前より遥かに遠距離からのものになり、4000~5000mの有効射程では間に合わなくなってきたためで、より高性能の3吋砲を開発途上でした。併せて攻撃側の兵器が音響追尾式魚雷になってきたことも挙げられます。
  また、ジェット機の爆風を遮るブラストディフレクター(遮風板)やカタパルトに引っかけたワイヤーを回収するブライドル・リトリーバーの初期型も設置されています。日本海軍では1本数万するワイヤーを海に捨てるなどとんでもない事だったのです。

 駆逐艦“紅雲(べにぐも)”は大戦中に竣工した大型艦で、戦後も長く活躍した日本海軍の代表駆逐艦でした。当時の要目は
全長121.8m × 幅11.2 m × 吃水4.3m   基準排水量2300㌧
満載排水量3270㌧  タービン6万馬力 速度35㌩
零式61㎝音響ホーミング魚雷 ×4基  
零式533㎜対潜魚雷 × 2基 (磁気探知型魚雷)
零式15㎝16連装対潜噴進砲 × 2基(各砲320発・20回攻撃可) 

本級70隻は戦後数度の改造を経て65年まで活躍しますが、対空兵器は次第にミサイルになっていきます。