57.艦隊型駆逐艦 “潮Ⅱ型“ “潮Ⅲ型” 勢揃い

第3刊35項で新艦隊 駆逐艦 “潮”型の竣工をお知らせいたしました。以下の艦名です。この後に38番艦以降が“潮Ⅱ型”、51番艦以降が“潮Ⅲ型”として登場させることも予告しておりました。やっと構想がまとまりましたので今回発表いたします。なお、竣工時の“潮Ⅰ型”については第3刊35項の新艦隊 駆逐艦 “潮”型をご覧ください。

【潮Ⅰ型】

  艦  名 建造所 竣工年 月・日
1 潮( うしお ) 舞鶴 昭和18年(1943) 01・15
2 夏潮(なつしお) 藤永田 昭和18年(1943) 01・20
3 夕潮(ゆうしお) 浦賀船渠 昭和18年(1943) 01・27
4 早潮(はやしお) 舞鶴 昭和18年(1943) 01・29
         
5 うず潮(うずしお) 藤永田 昭和18年(1943) 02・05
6 巻潮(まきしお) 浦賀船渠 昭和18年(1943) 02・18
         
7 春潮(はるしお) 神戸川崎 昭和18年(1943) 03・03
8 八重潮(やえしお) 舞鶴  昭和18年(1943) 03・11
9 灘潮(なだしお) 横浜船渠 昭和18年(1943) 03・18
         
10 朝潮(あさしお) 石川島 昭和18年(1943) 04・05
         
13 黒潮(くろしお) 藤永田 昭和18年(1943) 05・03
14 秋潮(あきしお) 舞鶴 昭和18年(1943) 05・11
15 冬潮(ふゆしお) 浦賀船渠 昭和18年(1943) 05・22
         
16 鳴潮(なるしお) 石川島 昭和18年(1943) 06・13
17 高潮(たかしお) 横浜船渠 昭和18年(1943) 06・19
18 瀬戸潮(せとしお) 神戸川崎 昭和18年(1943) 06・27
         
19 望潮(もちしお) 藤永田 昭和18年(1943) 07・07
20 沖潮(おきしお) 舞鶴 昭和18年(1943) 07・14
21 玉潮(たましお) 浦賀船渠 昭和18年(1943) 07・21
         
22 濱潮(はましお) 石川島 昭和18年(1943) 08・05
23 時潮(ときしお) 横浜船渠 昭和18年(1943) 08・14
24 幸潮(さちしお) 舞鶴  昭和18年(1943) 08・21
         
25 引潮(ひきしお) 佐世保 昭和18年(1943) 09・09
26 満潮(みちしお) 浦賀船渠 昭和18年(1943) 09・18
  (現満潮改名→朧・おぼろ)      
27 荒潮(あらしお) 横浜船渠 昭和18年(1943) 09・28
         
28 親潮(おやしお) 藤永田 昭和18年(1943) 10・05
29 磯潮(いそしお) 石川島 昭和18年(1943) 10・18
30 上潮(あげしお) 舞鶴 昭和18年(1943) 10・21
         
31 天潮(あましお) 浦賀船渠 昭和18年(1943) 11・03
32 伊勢潮(いせしお) 舞鶴 昭和18年(1943) 11・08
33 永潮(ながしお) 神戸川崎 昭和18年(1943) 11・13
34 青潮(あおしお) 佐世保 昭和18年(1943) 11・16
35 雪潮(ゆきしお) 石川島 昭和18年(1943) 11・20
36 有明(ありあけ)Ⅱ型 舞鶴  昭和18年(1943) 11・26
37 夕暮(ゆうぐれ)Ⅱ型 神戸川崎 昭和18年(1943) 12・04

※ 潮Ⅰ型の艦型図 昭和18年12月現在


【要目】
    基準排水量2,350㌧    満載排水量3,180㌧      全長121.8
    幅11.2m       吃水4.3m   艦本式ギアードタービン2基2軸  
    出力6万馬力  最高速力35㌩ 重油600㌧  航続距離18㌩で4500

【兵装】
     
10.5cm連装両用砲×4基(8門)   戊式40mm連装機関砲×6基(12門)
    新25㎜3連装機銃×1基(3門)    25mm単裝機銃は14基(14門)
    零式61㎝4連装魚雷発射管×1基   53㎝対潜磁気短魚雷×6基
    零式15㎝16連装対潜噴進砲×2基 
    ※噴進弾320/砲(20回分)
    注:対空機銃や艦隊内無線などの発達によるアンテナ類が多くなっている。


【潮Ⅱ型】

  艦  名 建造所 竣工年 月・日
38 朝雲(あさぐも) 舞 鶴 昭和18年(1943) 12・10
39 山雲(やまぐも) 浦賀船渠 昭和18年(1943) 12・15
40 峰雲(みねぐも) 石川島 昭和18年(1943) 12・22
41 村雲(むらぐも) 藤永田 昭和18年(1943) 12・27
42 青雲(あおくも) 横浜船渠田 昭和19年(1944) 01・07
43 秋雲(あきぐも) 舞 鶴 昭和18年(1943) 01・10
44 夏雲(なつぐも) 浦賀船渠 昭和18年(1943) 01・19
45 春雲(はるぐも) 石川島 昭和18年(1943) 01・27
46 吊雲(つるぐも) 藤永田 昭和18年(1943) 01・30
47 綿雲(わたぐも) 横浜船渠 昭和18年(1943) 02・08
48 沖雲(おきぐも) 舞 鶴 昭和18年(1943) 02・11
49 笠雲(かさぐも) 藤永田 昭和18年(1943) 02・15
50 八重雲(やえぐも) 浦賀船渠 昭和18年(1943) 02・20



【要目】
    
基準排水量2,400㌧(+50t)    満載排水量3,250㌧(+70t)   全長121.8m × 幅11.2m ×  吃水4.3m  
    
艦本式ギアードタービン22軸  出力6万馬力   最高速力35
    
重油600㌧  航続距離18㌩で4500

【兵装】
    65口径10.5㎝連装両用砲 × 2基(4門) 
    戊式40mm連装機関砲 × 8基(16門)   25㎜単装機関砲 × 10基(10門) 
    25mm3連装機銃×1基(3門)
    零式61㎝4連装魚雷発射管(音響ホーミング付)×1基 
    53㎝対潜磁気短魚雷×6基 零式15㎝16連装対潜噴進砲×2基 
    ※噴進弾320/砲(20回分)

 艦名は“潮”を辞めて“雲”に替えました。当時の現役艦は改名するということを前提に考えましたが、よく32箇もの名前が出てきたと思います。辞書や富士山の雲の記事を観ながら考えたものですが、最近文庫本で雲や風、雪に関する名称を書いてあるものが出版され助かっています。“笠雲”“吊雲”などは富士山の本からです。ちなみに現役艦の改名というのは、旧海軍では絶対にありませんが本稿では勘弁して下さい。実史の数倍の艦艇が建造されているわけですから…。“〇島”“星座”“空”に関する名前に改名しております。

 38番艦“朝雲”から始まる“潮Ⅱ型”は要目欄で記したように後部の2番長10㎝両用砲を止め、そのスペースに戊式40㎜連装機関砲を3基巴形に配置し、中間空域の防空を強化した艦です。これは空母の艦上戦闘機の前方展開が当たり前になってきたため、10km先への遠距離射撃の機会が減ったことによります。連装3基よりも4連装2基の方が合理的だとも考えたのですが、製造のことを考えると生産効率が落ちることは明らかなので止めました。#55でハワイに行った時の4連装機関砲の見聞を書きましたが、良くあんなに幅の広い砲を駆逐艦などに載せたものだと思うくらい大きな機関砲です。マリアナで日本機を七面鳥のように撃ち落したのはこの機関砲かと思うと複雑な気持ちになりました。

 本級はまさに完成された駆逐艦であり、米海軍のアレンサムナー級やギアリング級と同格の駆逐艦ですが、9865口径10㎝両用砲の採用により、対空防御の点ではむしろかれらに勝っておりました。“潮Ⅱ型”は性能面では“潮Ⅰ型”と変わりなく、戦後の主力駆逐艦になったことは言うまでもありません。

【潮Ⅲ型】

  艦  名 建造所 竣工年 月・日
51 浮雲(うきぐも) 佐世保 昭和19年(1944) 01・19
52 黒雲(くろくも) 舞 鶴 昭和19年(1944) 02・20
53 白雲(しらくも) 浦賀船渠 昭和19年(1944) 02・25
54 渓雲(たにぐも) 横浜船渠 昭和19年(1944) 02・26
55 高雲(たかぐも) 藤永田 昭和19年(1944) 02・27
56 横雲(よこぐも) 石川島 昭和19年(1944) 02・28
57 薄雲(うすぐも) 佐世保 昭和19年(1944) 03・02
58 朝靄(あさもや) 舞 鶴 昭和19年(1944) 03・07
59 片雲(かたぐも) 浦賀船渠 昭和19年(1944) 03・11
60 海雲(うみぐも) 横浜船渠 昭和19年(1944) 03・18
61 行雲(いきぐも) 藤永田 昭和19年(1944) 03・22
62 紅雲(べにくも) 石川島 昭和19年(1944) 03・27
63 朱雲(あけぐも) 舞 鶴 昭和19年(1944) 04・07
64 東雲(しののめ) 佐世保 昭和19年(1944) 04・10
65 西雲(にしぐも) 浦賀船渠 昭和19年(1944) 04・15
66 郷雲(さとぐも) 横 浜 昭和19年(1944) 05・11
67 冬雲(ふゆくも) 藤永田 昭和19年(1944) 07・25
68 天雲(あまぐも) 横浜船渠 昭和19年(1944) 08・25
69 瑞雲(みずぐも) 浦賀船渠 昭和19年(1944) 11・05
70 筋雲(すじぐも) 石川島 昭和19年(1944) 12・01



【要目】
    
基準排水量2,300㌧(-50t)    満載排水量3,200㌧(+20t)    全長121.8m × 幅11.2m  ×  吃水4.3m  
    
艦本式ギアードタービン2基2軸  出力6万馬力   最高速力35
    重油600㌧  航続距離18㌩で4500

【兵装】
    一式55口径12.7㎝単装自動砲 ×3基 ※新型自動砲
    戊式40mm連装機関砲×6基(12門) 
    25㎜3連装機銃 × 1基(3門)   25㎜単装機関砲 × 16基(16門)  
    零式61㎝4連装魚雷発射管(音響ホーミング付)×1基 8本
    53㎝対潜磁気短魚雷×6本(磁気感応型)
    零式15㎝16連装対潜噴進砲×2基 
    ※噴進弾320/砲(20回分)

 97式艦攻や99式艦爆など航空機の急速な発達により、昭和15年末までの訓練でも、防御側が追尾不可能という事態が発生するようになりました。艦攻と艦爆の同時攻撃で戦艦が撃沈判定を下されるという事態は日常茶飯事におきたのです。海軍は急きょ戊式40㎜機関砲の採用を決定し、艦爆や艦攻が射点に入る位置に向けての防御はこれで防ぐという対策を立てました。
 しかし、高空の敵に対する攻撃は9865口径10㎝高角砲(後に両用砲)が完成したことで一段落していました。訓練によっては22/分が可能でありましたがそれも訓練を重ねたごく一部の砲員であり、米空軍の超大型爆撃機B-17の大編隊による爆撃には一抹の不安がありました。
 そんな時自動装填式高角砲の図面を作成して説得にやってきた民間技術者が現れました。広島のマツダ自動車の前身松田製作所のM氏でした。(後に日本製鋼所と分社する。)艦政本部はこの技術者の図面を基に1939年(昭和14年)から自動装填式の15.5㎝の対空砲の設計を開始しました。しかし、この砲は大型になり過ぎ、巡洋艦でも搭載できるか否かという代物になりそうでした。そこで口径を5吋にし、小型化して迎角を上げ新型高角砲として製作することにしたのです。これが一式55口径12.7㎝自動砲となる新型高角砲でした。昭和16年には試作砲が完成し、17年から室蘭にて量産試作、本量産開始となりました。

【要目】
    
長さ6.985m   重量35㌧    初速1000/秒    弾丸重量23kg  
    
射程21,000m  射高14,700m   発射速度 40/
    
迎角-10°/ +90° 方位盤一式射撃指揮装置(94式の改良型大幅に簡易構造になっている。)

 “潮Ⅲ型”はこの単装砲をわずか3基搭載しただけです。ところが1分間に40発が自動で発射される効果は想像以上でした。機関砲並の速度で5吋砲が発射されるとかなり広範囲の空域を集中的に掃討出来ることが分かったのです。
 その面積は89式高角砲の8倍、9865口径の3倍になりました。
 
“潮Ⅲ型”は船体こそ潮型ですがその存在感はⅠ型Ⅱ型の3隻分になったのです。193月完成の紅雲(べにぐも)までが19年の6月に生起したトラック~マリアナ沖海戦に間に会いました。本級70隻は終戦後も1965年まで改修・改造を重ねながら艦隊の中心となり活躍しました。