54.水中高速潜水艦 潜高潜水艦伊-200改型
伊‐200~300 (偶数番) 50隻 三菱造船以前神戸工場18年7月~19年6月
建造開始 18年 4月 2隻 18年 10月 5隻
18年 5月 4隻 18年 11月 5隻
18年 6月 4隻 18年 12月 5隻
18年 7月 4隻 19年 1月 5隻
19年 8月 4隻 19年 2月 6隻
19年 9月 5隻 19年 3月 6隻 合計50隻
伊‐201~299 (奇数番) 50隻 川崎造船泉州工場 18年4月~19年 5月
伊‐301~399 (奇数番) 50隻 横須賀馬掘工場 18年9月~19年12月
伊‐302~398・421(偶数番) 50隻 大連工廠 18年9月~19年12月
合計 200隻 昭和18年(1943)10月~19年(1944)6月に完成
以上のような日程で上記4箇所の各造船所で建造されました。いずれも潜高中(せんだかちゅう)呂-200型潜水艦の建造に携わった造船所ばかりであり、技術も設備も当時世界最高級の施設でした。伊-398と421の間が開いていますがこの間には伊-400型20隻が入りますので飛び番となりました。伊-400型は本級より先に米国東海岸線の攻撃用に開発されたのですが、この時点では東部攻撃は実施されておらず、もっぱら珊瑚海に展開した潜高中・呂-200型潜水艦の司令及び母艦として燃料や備品、食料の補給などの任務についております。話を戻します。伊-200原案はというと以下の様なものでした。
【要目】
排水量 1,070㌧(水上)/ 1,450㌧(水中) 全長79m × 幅5.80m × 吃水5.46m
機関 水上:マ式1号過給ディーゼル2,750馬力×2基 水中:主電動機特E型1,250馬力×4基
蓄電池 2,088基(207以降1号33型480基水中17ノットに低下) 2軸
出力:(水上)2,750hp×2 5,500馬力 15.8ノット
(水中) 特E型電動機 1,250馬力×4基 19ノット
重油搭載量 146㌧
航続距離 14ノットで5,800浬(水上)/ 3ノットで135浬
兵装 533㎜魚雷発射管4門 搭載数10本 安全潜航深度110m
乗員 31名~56名
実史では〇戦計画により昭和18年に3隻、19年20隻が計画された水中高速潜水艦です。減速歯車の騒音問題が解決できず、ダイレクトに接続したため水中速力が計画より大幅に低下し不完全な状態で完成した潜水艦でした。
本稿では昭和17年計画で建造が確定し、18年4月より新型水中高速潜水艦伊-200改として三菱造船神戸工場において建造が開始されました。以前、本稿№26で述べました“潜高中・呂-200型”を大量建造したあと、各造船所は大型の伊号潜水艦建造用に改修されました。
本艦建造の理由は作戦海域がハワイ東方、米西海岸までと遠距離になり呂-200型では作戦遂行が困難になってきたこと、米海軍の護衛艦艇が搭載するヘッジホッグの脅威に対抗するため水中での高速化が要求されたこと、これらを適えるため1,000㌧を超える大きさが攻撃潜水艦として必要になったこと等が挙げられます。さらに米国の海岸に近づくということで潜航深度も従来の100m内外ではなく倍の200mほどが安全潜航深度として要求されました。
呂-200の建造により蓄積された溶接技術は本艦に充分活用されました。その一つが伊-8によってドイツから持ち帰った特殊鋼板(後のNS鋼)の溶接でした。この特殊鋼材は従来のものとは別物で通常の速さで溶接ができません。時間をかけてゆっくり行う現在のGTA溶接の基本が必要だったのです。この技術の修得により、伊-200型は船殻の多くの箇所にこの特殊鋼材が使用されました。建造期間は呂号潜水艦より長く平均して10~13ヵ月でした。
昭和18年10月には早くも最初の30隻が竣工し、19年2月には新規部隊が発足しました。日本海での猛訓練によって練成された部隊は19年4月から実戦配備につきました。この艦の就役は独逸のXXIより1ヶ月ほど速かったことになります。
目的地は、呂号に替わって東はハワイ東方海域、パナマ方面、マゼラン海峡方面、更に西は租借した紅海シャドワーン島の秘密基地、そしてケープタウン方面といったところです。随分広がりました。船型は原案より1.5倍大きくなり、下記のような要目になりました。やはり遠距離航海が当たり前になったため船型の大型化は、居住性の問題を含めて避けられませんでした。魚雷の搭載量、機関の大型化もこれに加わって居ります。しかし、一番の特徴はその静粛性でドイツの技官が舌をまく程でした。この静粛性と水中高速が彼らをして“連合軍の悪魔”と呼ばせたのです。
ところでこの潜水艦を建造するにあたって最も参考となった艦がドイツで計画中のXXI型水中高速潜水艦でした。この潜水艦の基本図面は伊-402が持ってきた重要資料の内の一つです。日本からは水中高速実験潜水艦71号の図面資料が渡りました。
【独逸水中高速潜水艦XXI】
【要目】
基準排水量1,621㌧ 満載排水量2,100㌧(水中)
全長76.7m × 幅8m × 吃水5.3m
機関:マンディーゼルターボ4,000hp×2基 主電動機:5,000hp ×2基 2軸 出力:8,000hp(水上)/ 10,000hp(水中)
速力:15.6ノット(ディーゼル)17.9ノット(電気)水上 / 水中17.5ノット静粛時6ノット
航続距離 15,500浬 / 水中5ノットで340浬(48時間)
兵装533㎜魚雷発射管 6門 魚雷搭載数23本(自動装填装置付きで10分で再装填可能 ) 安全潜行深度? 乗員57名
※2基のソナー探知により水中からの攻撃可能
1944年(昭和19)5月より竣工
独逸のXXIについては米海軍が戦後調べた資料が基本になっております。伊-200改は下記の図に示します。
【要目】
排水量 1,450㌧(水上)/ 1,900㌧(水中) 全長79m × 幅7.5m × 吃水5.5m
機関 水上:マ式ターボディーゼル4,000馬力 ×2基 水中:特F型2,500馬力主動機×4基
静粛用電動機200馬力×2基
速力 (水上) ディーゼル18ノット 電気18ノット /(水中)電気 24.8ノット
重油搭載量 246㌧ 潜航まで28秒
航続距離 14ノットで10,000浬 / 静粛用電動機6ノット60時間
兵装 61㎝魚雷発射管4基 533㎜発射管2基 魚雷搭載数18本(61㎝酸素魚雷×8本 533㎜音響魚雷×10本)
水中攻撃用水中音波探知機1セット(3次元対応)
魚雷自動装填装置一式 マイクロ波通信 水中充電用シュノーケル装置
乗員 55名
以上のように計画艦より若干太めですが、潜水艦としての世界最先端の性能を持つ完成品が出来上がりました。減速歯車の騒音問題を特殊硬質ゴムの採用により解決し、水中で25ノットという脅威のスピードを達成しています。特E型の改良型である特F型2,500馬力×4という高出力モーターの成果と言えます。
魚雷については61㎝酸素魚雷を搭載すべきか悩みましたが一応93式2型酸素魚雷を搭載することにしました。護衛艦から対潜攻撃を受けた時の反撃手段として533㎜の音響追尾型を10本搭載しました。これは輸送船団攻撃の時も使用します。
93式2型 |
なおこの潜水艦は派生型や改造型で枝分かれして行きますので、その都度追加発表いたします。
※伊-200改Ⅱ型 伊-235潜水艦
Ⅱ型を加えました。
上図は派生型の一つです。本級のⅠ型では音響装置(ソナー)のノイズに悩まされ、機能しないという場面が発生し、搭載位置を変更しました。艦首にあったものをセイル前面に移設し、艦底には新型機を搭載しノイズの解消に成功しました。同時に艦橋・セイルを3m程前方に移設しました。潜望鏡位置はそのままです。要目については魚雷が変わりました。61cm魚雷の搭載は止め、533mm潜水艦用酸素魚雷で統一しました。
【要目の変更】
兵装533mm魚雷発射管 × 6基
魚雷搭載量20本(93式533mm酸素魚雷×10本・533mm音響追尾型×10本)
ここまで書いて来た時ハワイでガトー級潜水艦を観る機会に恵まれ1日戦艦ミズーリとガトー級潜水艦を観てきました。甲板の隙間から下を観ると当時の潜水艦は大きなパイプの上に船体上部の構造物を乗せ、真ん中にセイルを載せるという構造がよく分かりました。つまり、パイプに乗せた船体の形をしている部分は潜航時海水で満たされているのです。今の潜水艦とは全然違うことが分かりました。只、真鍮部分が磨き上げられていたのが印象的でした。
ミズーリですか?いつも大和と比較しながら観ていますが戦艦はやはりすごい。これはまた大和型5番艦が竣工した時報告します。