55.マリアナ沖海戦における空母艦隊の編制

第一航空艦隊      
  第一航空戦隊 大鳳(旗艦) 16.12 竣工 阿蘇17.1 改装終了
  第二航空戦隊 瑞鳳 17.1 竣工 伊吹17.1 改装終了
  ※重巡 浅間・愛宕      
         
  第三航空戦隊 祥鳳 17.2 竣工 天城17.2 改装終了
  第五航空戦隊 龍鳳 17.6 竣工 葛城17.5 改装終了
  ※重巡 開聞・六甲      
         
第二航空艦隊      
  第六航空戦隊 駿河(旗艦) 17.1 竣工 生駒17.7 改装終了
  第七航空戦隊 尾張 18.9 竣工 筑波18.3 改装終了
  ※重巡 竜王・石尾(いしづち)      
         
  第十二航空戦隊 瑞鶴(旗艦) 16.9 竣工 笠置17.3 改装終了
  第八航空戦隊 若狭 18.11 竣工 霧島18.5 改装終了
  ※重巡 大山・九重      
         
第三航空艦隊      
  第十航空戦隊 土佐 18.11 竣工 妙義17.8 改装終了
  第十一航空戦隊 出雲 18.2 竣工 比叡18.6 改装終了
  ※重巡 朝日・穂高      

上記は昭和19年6月に生起したマリアナ沖海戦における帝国の航空艦隊及び戦隊の編制図であります。正規空母10隻、軽空母10隻を擁し、航空兵力は戦闘機が陣風・烈風・紫電改など戦闘機(正規空母には陣風・烈風)が620機、流星攻撃機が560機合計1180機という空前の規模でした。

この他に戦闘による航空兵力の補充のために讃岐(さぬき)級の補助空母常盤(ときわ)、阿波(あわ)、志摩、出羽、周防(すおう)、伊豆、和泉(いずみ)の7隻が各艦、戦闘機紫電改または陣風を20機、流星攻撃機合計280機を搭載し後方に待機しております。

国内にはこの他に空母赤城、翔鶴、飛龍、飛鷹、隼鷹、鳳翔、上総(かずさ・大鳳級以下同じ)、相模、近江が在籍しておりますが、翔鶴、飛鷹は修理中、隼鷹は南方方面に展開、赤城、飛龍は練習空母として舞鶴方面で訓練中、また上総、相模、近江は就役訓練中又は艤装中という状況でした。鳳翔は陸軍に練習空母として貸与しています。また、讃岐級の讃岐、伊予、筑前、播磨(紫電改・彗星艦爆各20機搭載)の4隻は海上護衛総隊に貸与して対潜作戦(実史より敵潜多数)に従事しており、横須賀級護衛空母20隻(東海6機・彗星6機、ゼロ戦又は紫電改の戦爆型18機、同直江津級(東海6機・彗星12機・紫電改24機搭載)12隻を加えると3隻の戦沈艦はありましたが29隻が健在であり、この時期の海軍は約80隻の空母を保有していたことになります。因みに海軍陸戦隊の揚陸部隊にも揚陸用航空母艦(5刊で紹介します。)3種20隻が在籍しています。




  上記の図がそのうちの一つ第三艦隊・第十と第十一航空戦隊の鳥瞰図です。これを護衛する部隊は航空艦隊ごとに浅間型重巡を中心に雲仙級、筑後級重・軽巡が3~6隻、防空用軽巡十勝型、阿賀野型1ないし2隻、駆逐艦11隻~18隻と重圧な輪形陣を構成していました。駆逐艦は不足気味ですが航空戦隊には優先的に配備されておりました。第一戦隊など比較的低速な戦隊には松型駆逐艦が護衛についていました。各隊これに前方展開の伊号潜水艦(伊-200含む)が各々4~8隻加わります。

  以上が艦隊の編制になり、昭和19年から米海軍が西進し戦闘となったとトラック(S19.2.17~18)、マリアナ沖海戦(S19.6.19~20)、レイテ沖海戦(S19.10.23~29)の緒戦を戦うことになります。この時、航空部隊はレーダーと解明した磁気信管に対応する為、金属片とアルミ片を偵察機彩雲改33型(過給機・与圧室付)により敵艦隊上空に散布するという方法をとり、攻撃隊の消耗を防いでおります。その為実史のような“マリアナ沖の七面鳥狩り”等という惨劇は起きませんでした。




  この戦隊の中心となるのは空母土佐と妙義それに出雲・比叡の4隻です。土佐と出雲は艦首をエンクローズドバウ化した改翔鶴級(大鳳級)の最新鋭艦です。昭和18年11月に竣工したばかりの新鋭空母でした。空母妙義と比叡は伊吹型の軽空母で米海軍のインデペンデンスに相当する艦ですが、改造空母とはいえ元々空母用の設計をしていた艦なので米艦より搭載機は多く正規空母飛龍と同級とみなして良く、使い勝手のよい艦との評判でした。特に比叡はこのクラスの使い勝手の良さを認めた海軍が追加建造した空母で、艦首の形状が従来の伊吹型とは違ってバルバスバウ形状となっています。妙義はトラック空襲の際、至近弾により小破程度の被害を受けましたが、同地の工作艦の活躍により2週間で復帰しております。艦載機は既に最新鋭の“陣風”が搭載され、艦爆は流星攻撃機です。陣風の配備はこの部隊が最新鋭の部隊であった為で、第一航空戦隊の大鳳・阿蘇などは烈風のままでした。


  旗艦を務めるのが重巡穂高です。朝日と共に第十航空戦隊の護衛にあたっております。貴公子とのあだ名のある浅間型の重巡で、船体幅が大きくゆとりがあったので大型の電子機器の増設にも対応でき、航空戦隊の旗艦として充実した司令部設備を設けております。旧海軍の妙高型や高雄型の比べると速力は最大33㌩で充分という方針に変わったため、船体幅を広くとり戦時中の増設による重心上昇にも応分に対処できました。因みに浅間級は主砲塔の防御も本格的なものになっています。各部隊の旗艦はその部隊の司令官の意向で、空母に置いたり重巡にしたり選択は任せられております。



  この部隊には阿賀野型の遠賀・錦の2隻の他軽巡梓と久慈が配備されています。遠賀と錦は水雷戦隊を率いるために建造された軽巡洋艦を建造途中から防空型に改造した阿賀野型の最終型であり、15㎝砲用の測距儀を始めから搭載しなかった艦です。98式長10.5㎝高角砲は9基18門を搭載しています。


  また、梓と久慈は筑後型の軽巡で長10㎝高角砲こそ6基12門ですが、浅間級と同様、幅広の船体に40㎜連装機関砲を15基30門搭載し、中間空域の防空を担っています。実史の帝国海軍は5吋連装高角砲からいきなり25㎜3連装機銃になっていました。英国から輸入した毘式40㎜機関砲が芳しくなく、中間域での対空機関砲を装備できなかったのです。この為米の急降下艦爆機が射点にはいるのを容易にしてしまい被害が拡大したと考えています。軽巡筑後型が就役するにつれ、防空巡洋艦の必要性が薄れましたが終戦間際に大型防空巡洋艦が若干就役したことを記します。(※3月にハワイに行く機会があり潜水艦とミズーリ(3回目)に行ったところ、ボフォースの40㎜4連装機銃の実物を観ました。とにかく連装を2基繋げた砲なので横幅がすごく広いのです。日本の幅の狭い高速艦巡洋艦には搭載できないな!と感じて帰ってきました。3連装なら可能ですが…。)



  先頭にいるのは大型駆逐艦島風です。実史では水雷戦隊用として61㎝魚雷15本を発射できるよう5連装の発射管3基を積んでいましたが、この姿で完成したのはこの島風と神風(最後部に配置)のみで、他の艦はこの図のとおり艦尾の一基を残して40㎜機関砲を搭載しています。対潜艦として前方攻撃のできる艦が潮級とこの島風級しかありませんが、艦型が大きいので駆逐艦隊司令艦にも使用できる艦でした。



  随分前に九八式長10.5㎝を後部にもう1基搭載した秋月型を考え建造したのですが、防空艦としては初期の設計の艦の方が実戦的で使い勝手が良かったようでこのクラスの後は原型に戻りました。只本稿においては魚雷は搭載しておりません。当部隊には下から時計回りに三日月、水無月、神無月、夕月、里月、早月の6隻が配属されております。


  進行方向下から時計回りに夕暮、12時方向に雪潮、有明の3隻が配備されています。空母4隻を守るには少ない気もしましたが合計11隻が第十航空戦隊を護衛しておりました。この艦隊だけでも総計60隻近い駆逐艦を護衛に充てています。潮型の後期艦がまだ竣工直後で訓練中ということもあり艦隊を護衛する駆逐艦は慢性的に不足気味でありました。潮型駆逐艦はバランスも良く、使用実績をみても1944現在最高水準を行く駆逐艦と評価されていました。


追記:陣風について
  陣風は計画こそ早かったのですが昭和20年までに完成しなかった戦闘機です。完成すれば零戦や紫電改に代り新鋭空母の艦載機となったことでしょう。本稿では川西航空機が昭和18年(1943)3月には試作機を完成し、海軍はその性能にほれこみ、ただちに2000機を発注し8月から生産に入ったのです。それが功を奏して末期の緒戦に間に合い、終戦に持ち込むことができたのです。零戦を重装備、重防御化した機体でF 6 Fは無論、F 8 Fベアキャットにも対抗できる戦闘機となりました。



全長10.1m × 幅12m × 全高4.12 × 脚間隔3.9m 
エンジン: 誉52型空冷複星18気筒 2350馬力
プロペラ:4翼  最大速度710㎞/時 上昇限界13,600m
航続距離:2300㎞  武装:長20㎜機関砲 × 4門
250kg爆弾×1  5吋ロケット弾×4発 

 

 

F8F-2 ベアキャット

全長8.43m ×幅10.82(折りたたみ時・7.09m)高さ4.17m 
機体重量:3488kg 全備重量4729kg 最大速度719㎞
実用上昇限度12405m 航続距離 2310㎞  
武装:20㎜機関砲×4門 450kg爆弾×1 5吋ロケット弾×4基