59.戦略潜水艦 伊-400型

その1

昭和12年計画

1. 伊-400 呉海軍工廠 昭和16年 (1941) 4月8日 竣工 旗艦設備あり
2. 伊-401 佐世保工廠 昭和16年 ( 〃 ) 5月9日 竣工 旗艦設備あり
3. 伊-402 佐世保工廠 昭和16年 ( 〃 ) 6月7日 竣工
4. 伊-403 呉海軍工廠 昭和16年 ( 〃 ) 7月11日 竣工
5. 伊-404 呉海軍工廠 昭和16年 ( 〃 ) 7月23日 竣工
6. 伊-405 川崎 泉州 昭和16年 ( 〃 ) 8月22日 竣工
7. 伊-406 三菱 神戸 昭和16年 ( 〃 ) 8月30日 竣工
8. 伊-407 川崎 泉州 昭和16年 ( 〃 ) 9月13日 竣工

昭和13年計画

9. 伊-408 横須賀工廠 昭和16年 (1941) 10月25日 竣工 旗艦設備あり
10. 伊-409 神戸 川崎 昭和17年 (1942) 1月15日 竣工
11. 伊-410 呉海軍工廠 昭和17年 ( 〃 ) 1月23日 竣工
12. 伊-411 佐世保工廠 昭和17年 ( 〃 ) 2月19日 竣工
13. 伊-412 横須賀工廠 昭和17年 ( 〃 ) 2月24日 竣工
14. 伊-413 三菱 神戸 昭和17年 ( 〃 ) 2月28日 竣工
15. 伊-414 川崎 泉州 昭和17年 ( 〃 ) 3月 7日 竣工
16. 伊-415 佐世保工廠 昭和17年 ( 〃 ) 3月18日 竣工

 昭和14年追加計画

17. 伊-416 川崎 泉州 昭和17年 ( 〃 ) 4月15日 竣工
18. 伊-417 三菱 神戸 昭和17年 ( 〃 ) 5月19日 竣工
19. 伊-418 佐世保工廠 昭和17年 ( 〃 ) 5月28日 竣工
20. 伊-419 呉海軍工廠 昭和17年 ( 〃 ) 6月9日 竣工
       
00. 伊-399 (実験予算取名目)
21. 伊-420 (追加計画予備予算)
22. 伊-421 (追加計画予備予算)

要目】
   基準排水量:3530㌧  常備:5223㌧ 潜航時排水量6560
 全長122m × 最大幅12m × 吃水 7.02m
 機関:艦本式22号ディーゼル × 2基 主電動機 × 2
 蓄電池 360基  2軸  出力7700馬力(水上)/2400馬力(水中)
 速力18.7ノット(水上)/ 6.5ノット(水中) 燃料搭載量1750
 航続距離;37500浬  

【兵装】
 
40口径14cm砲 × 1基  25mm3連装機銃 × 3基 同単装 × 1
 
533mm発射菅 × 8門  魚雷搭載数 20本  晴嵐攻撃機 × 3
 圧搾空気式41号射出機 × 1基(射出速度122.4km 射出重量 5 射出間隔 4分)伊-4004034隻は旗艦設備あり

 

 この潜水艦は戦後まで残存したため資料が写真を含めて非常に多いのですが、多すぎて雑誌の図面が伊-402であったり、写真説明で401を400だと記したりで相当混乱しています。本稿では降伏直後の伊-400の写真を元に描いてみましたが、側面が違う2種類の写真があり判断に苦労しました。平面図は自信がありません。終戦直前に完成した艦であるためか400、401、402それぞれが個性を持っていて、写真を見比べるだけでも貴重な経験になりました。3隻各々違う箇所が多数ありますので面白いですよ。

かつて出版されたグランプリ出版の“軍艦メカシリーズ”は“潜水艦”が未刊であり、海軍潜水艦の権威・泉江三先生にはこの本をぜひ出版していただきたいですが・・・。本稿で潜水艦は呂-201、伊-8、伊-201そして伊-400と4種類描いてきましたが艤装品も水上艦とは一寸違いますのでその辺りが図面になっているとありがたい、ぜひ“潜水艦”を出版して欲しいな!と思います。

各雑誌を見てもこの艦についての良い評価が多く、こと日本海軍の潜水艦そのものは消音化に大きな問題を抱えていたものの、当時の潜水艦のレベルに達していたことは間違いないようです。但し、Uボートや米潜水艦がほとんど電気溶接で建造されたのに対して、日本海軍は終戦直前になってやっと溶接技術を物にしたのか!という感はあります。伊-400の晴嵐格納庫が全て電気溶接によって出来ているからです。物流の戦闘になってしまった太平洋戦争に対応して、太平洋を西進する輸送船団を駆逐するという考えにならなかったのでしょうか?インド洋で通商破壊活動をやったのに…。世界の艦船“日本潜水艦史”の伊-400の項にも記してありますが、このような艦は開戦劈頭に東部の工業地帯を奇襲攻撃することが最善の策だと想い、今回はこの構想を実現してみようという試みです。

本艦はご承知のとおり“晴嵐(せいらん)”という愛知航空機の水上攻撃機を3機搭載する潜水空母です。この水上攻撃機の評価については主題から外れますので控えます。

【要目】
 製造:愛知航空機  全長10.64m × 幅12.262m    自重3362kg
 総重量4250kg 機関:愛知32型液冷倒立V型12気筒  出力1400馬力
 プロペラ3翔 径3.2m  速度474/時 航続距離1080浬 
 武装:12.7㎜旋回機銃 ×1基  800kg爆弾又は魚雷  乗員2

その2

“桜花”という飛行機の図面があります。皆さんご存知、人間爆弾として使われた特攻専用の哀しい戦歴を持った機体です。今回はこの機体を特攻専用機としてではなく、ナチスドイツが開発したV-1戦術ロケットの発展型として開発された誘導弾であったという想定にしてみました。最終的に完成したのは桜花43型甲で要目を記します。“BAKA”と呼ばれた11型より長さ(1m)も幅(4mほど)大きくなっております。


※桜花 11型     原型(有人型)
※桜花 22型   パルスエンジン(V-1に近い)搭載型
※桜花 43型甲  ネ20改ジェットエンジン搭載型


【桜花
43型甲・ネ20改 要目】
 
長さ8m × 幅9m(脱着式翼・突入時5mになる)× 高さ1.3m
 自重475kg  全装重量2.600kg  主武装950kg徹甲爆弾
 ネ弐20改ジェットエンジン × 1基   推力550kg 
 速力6,000mで水平飛行時700㎞/h   突入時983㎞/時  
 航続距離300浬   生産機9600機

桜花はもともと陸軍が開発していた無線誘導弾イ号一型甲及び乙やケ号爆弾(赤外線自動追尾の対艦誘導弾)からヒントを得た海軍特務将校が、これを人力で操縦し、1200kgの炸薬をもって空母や戦艦等の大型艦突入し、一発で仕留めるという発想のもと、窮地に追い込まれた海軍が製作を命じた機体でした。神戸川崎に発注したイ号一型乙という機体が実用化して150機ほど生産され“桜花”と命名され、実戦に投入されてしまったのです。一式陸攻の胴体下に吊るされて目的の艦隊に近づきそこから発射されるのですが、発射される前に母機であった一式陸攻が攻撃を受け被弾、撃墜されるというケースが多発したと記されております。

桜花11型は火薬ロケットエンジンを採用しましたが航続距離が短く、採用されましたが量産は中止され、桜花22型には伊-400が後述の経緯で入手したパルスジェットエンジンが搭載されました。しかし、今度は速度が問題になりました。遅いのです。桜花43型甲は同様の経緯で入手したBMW003を参考にして国産化した“ネ20改”ジェットエンジンを採用しました。このエンジンの採用により航続距離が大幅に伸び、速度も戦闘機が追いつけないほど高速化した事により戦術兵器・誘導弾としてやっと一人前の兵器となりました。誘導方法はジャイロスコープで方向、気圧高度計で高度位置、機首の小型プロペラで距離というV-1と同じ方式を採用しました。飛行途中での軌道修正は可能で、前方展開している潜水艦からのラジオ電波で行うというものでしたが、妨害電波や混信に弱いという弱点がありました。

 その3

ドイツのV-1ロケットはアングス社製パルスジェットAS014(日本もこのライセンスを購入)を搭載した半誘導弾で、弾頭は850kg陸用爆弾、ジーメンス社のジャイロスコープで方向を定め、アネロイド社の気圧高度計で飛行高度を計り、先端に付けた小型プロペラの回転で距離を測ることで爆撃位置を測定し、決められた距離を飛行した後エンジンを停止し、滑空して突入する無人の飛行爆弾です。ロンドン市民を恐怖のどん底に陥れた不気味な音はこのプロペラとパルスジェットの発した音です。しかし、巡行速度が460㎞/時と遅いのでスピットファイアの翼で引っかけられて撃墜されるなど、戦略兵器としては未完成の部分がありました。それでV-2の登場となるのですがこれは置いておきます。しかし、24,200発のV-1が欧州各地に向け発射され、攻撃を実施したという事実は驚きです。確かに460㎞の速度では戦闘機に追いつかれてしまいますけど…。このV-1の改良型が製作され桜花22型となりました。無論無人でしたが航続力が短いという致命傷を持っていました。誘導方法はV-1と同じでした。

その4

昭和16年(1941)8月、就役直後の伊-400と401が伊-8(昭和13年1938年6月実施)に続き遣独航路に着くことになりました。目的は各種航空機用エンジン、ロケットエンジン、戦車用マイバッハディーゼルエンジン、歩兵用対戦車砲、各種精密工作機器、誘導装置・追尾装置などの図面・実物サンプルの入手でした。伊-400の晴嵐用格納庫(棟長31m)はそれらを搭載するのにまことに好都合であったのです。また、伊-400型が大型であり長期の航海でも乗員の負担が軽かったことも理由の一つとしてあげられます。 航海は昭和16年(1941)8月~9月(往路)、翌年12月~2月(復路)で行われました。ドイツには3カ月間留まり、北大西洋の警備の手がゆるむ冬の帰還を選択しましたが、例によって新型対空レーダーの換装等の改修もあったためです。この戦隊の司令官は伊-8の艦長経験をかわれて内野信二少将が務めました。

伊-400遣独艦隊出発の報を受けると、駐独武官・野村直邦中将は指定された各種の機器・機材の入手に奔走しましたが、その中に1933年以来ドイツ空軍から見向きもされなかったフィーガラー社という兵器会社がありました。この会社は無人で飛行する飛行爆弾を開発中でした。野村はこの会社と交渉を開始しその後パルスジェットを開発中のアルグス社、潜水艦用AIPエンジンのほかガスタービン機関も開発していたヘルムート・ワルター等とも交渉、サンプルや図面の入手に成功、商談はスムースに成立したのです。

 

【要目】
 基準排水量:3530㌧  常備:5223㌧ 潜航時排水量6560
 全長122m × 最大幅12m × 吃水 7.02m
 
機関:艦本式22号ディーゼル × 2基 主電動機 × 2
 
蓄電池 360基  2軸  出力7700馬力(水上)/2400馬力(水中)
 
速力18.7ノット(水上)/ 7.5ノット(水中・電池改良)
 
燃料搭載量1750㌧航続距離;37500浬  

【兵装】
 戊式40連装機銃 × 1基 533mm発射菅 × 8門  
 
魚雷搭載数 20本  圧搾空気式41号射出機 ×1基(射出速度122.4km 射出重量 5㌧ 射出間隔4分から3分に短縮)
 伊
-4004034隻は旗艦設備があります。

 一方、艦隊司令官内野信二少将は二度目の訪独ということもあって、現地で英雄的な歓迎を受け、ダイムラーベンツやメッサーシュミットなどの工場を訪問、両社の開発したまだ秘密扱いの兵器や機械設備に接し、技術担当武官が推す“BMW003ジェットエンジンを入手する契約を取り付けました。また、工場内の工作機械や下請け工場が製作する精密な規格部品に驚き、これらの工作機械も輸入する契約をしたのです。エンジンなどの重要機材は2組調達し、それぞれ一基ずつを両艦が輸送するという慎重さでした。航海は難航しましたが37500浬という長大な航続距離に助けられ、かなり遠回りの行程を慎重に進み17年2月末に横須賀と呉にそれぞれ入港し遣独業務を無事達成しました。

その5

帰国後、ジェットエンジンは神戸川崎重工でタービンブレード等を改良し、プロペラ機では捕捉不可能な870㎞/時の速度と300浬の航続距離を実現させました。これがネ20改となりました。また、発射時の加速のため小型ロケット推進装置も開発され、潜水艦からの発射が可能となりました。山本長官が開戦前から考えていた米東部工業地帯の攻撃が実現可能になったのです。これとは別に伊-400型は続々と竣工し17年6月までに目標の20隻が完成し、極秘の訓練海域にて初期は桜花22型、17年からは43型甲の発射訓練をほぼ10カ月行っていました。

 アジア系米国人スパイからの情報によると東部の工業地帯では驚くべき数の戦艦、空母、巡洋艦、潜水艦が建造中であることが分かり、何処を攻撃するか綿密な計画が立てられました。攻撃目標は①エセックス級空母量産中のニューポートニューズ造船所 ②同じくベツレヘムクインシー造船所、③コネチカット州グロトン(ニューヨークの北東)にある潜水艦専門工場のエレクトリック・ボート社 ④アイオア級戦艦を建造中のノフォーク海軍工廠の4個所がリストアップされ、その内2カ所と決定されました。作戦は以下の通り

①   決行日時:昭和17年末から18年初頭
②   参加艦艇:伊-400型潜水艦20隻
③   桜花の誘導電波(修正用)を発信する伊-201型水中高速潜水艦4隻。
④   補給用潜水艦伊-361型4隻

合計28隻の大潜水艦隊です。当面空母の建造を阻止することが作戦目的の第一としてニューポートニューズとクインシー造船所の2カ所が攻撃目標とされました。決行日時は昭和18年1月9日。当時、ニューポートとベツレヘムの両造船所が建造しているエセックス級空母は以下のようでした。

【ニューポートニューズ造船所】昭和18年1月初旬の状況
 CV-9 エセックス・・・ 就役後の訓練中でノフォーク沖かカリブ方面。     ①
 CV-10 ヨークタウン・・・ 1/21進水予定でその準備中。船台上。           ③
 CV-11 イントレピット・4月進水を前に飛行甲板を搭載中。船台に在り。   ⑤ 
 CV-12 ホーネット・・・   船体部分は完成。船台上。                         ⑦
 CV-13 フランクリン・・・  竜骨を据えたばかり。エセックス跡船台。       ⑧
 CV-14 タイコンデェロガ・・・未起工。ヨークタウンの船台で建造予定。    ⑩
 リバティー級輸送船239隻・・・建造中昭和16年末(1941)より建造開始 

【ベツレヘムクインシー造船所攻撃計画】
 CV-16 レキシントン・・・42・9/23進水後艤装中、2/17 完成予定           ②
 CV-17 バンカーヒル・・・42・12/27進水後、5/24完成に向け艤装中      ④
 CV-18 ワスプ ・・・ 船台周辺で起工準備42・3/18起工予定               ⑥
 CV-19 ハンコック・・・1週間後1/26に起工予定。                                ⑨

※末記の〇番号は就役順。

上記のようにエセックス級空母はエセックスを除き、艤装中のもの2隻、船台上にあるもの4隻、起工準備中3隻、合計9隻が建造中ないし建造準備中という状況でした。


その6



【要目】
 
基準排水量:3570㌧  常備:5300㌧ 潜航時排水量6660
 
全長122m × 最大幅12m × 吃水 7.1m
 
機関:艦本式22号ディーゼル × 2基 主電動機 × 2
 
蓄電池 新型350基  2軸  出力7700馬力(水上)/3000馬力(水中)
 
速力18.7ノット(水上)/ 9.5ノット(水中) 燃料搭載量1750
 
航続距離;37500浬  

【兵装】
 戊式40連装機銃 × 1基 533mm発射菅 × 8門  
 
魚雷搭載数 20本(内10本音響追尾式魚雷)
 
圧搾空気気式01号射出機+火薬式推進ロケット×1基(射出速度140km
 
射出重量 5㌧   射出角度13.5度   射出間隔を3分おきに発射

作戦名 “嵐”

作戦名は“嵐”と名付けられ真珠湾攻撃時の出発地、択捉島ヒトカップ湾に集合。第一潜水戦隊と第二潜水戦隊の2隊に別れ、アフリカ・ホーン岬を経由して一路チェサピーク湾沖を目指して出発した。出港後司令官艦内放送で目標がニューポートニューズとクインシーの造船所であることが告げられた。各隊はそれぞれ2隻ずつの分隊に別れ北緯35度50分、西経70度00分デラウエア湾口沖300㎞の会合地点に、昭和18年1月6日午前3時に集合する命令が発せられた。
ニュ―ポートニューズ(バージニア州ポーツマス)とベツレヘム(マサチューセッツ州ボストン近郊)は直線距離で750㎞も離れているが、この地域は時差がなく、同時攻撃が可能であるとの確信を持っていた。“嵐”潜水艦隊が行動中、撃沈される等の被害にあった場合には作戦の中止もあり得たが、幸い全艦が会合地点に続々と集結することができた。司令官有泉少将は作戦実行を決め、第一潜水戦隊10隻はチェサピーク湾のニューポートニューズを、第2潜水戦隊10隻はベスレヘムクインシー造船所南東沖300㎞にシュノーケル潜航で進出した。やがて決行日1月9日午前5時に浮上、直ちに格納庫から“桜花43型甲”が引出され、前甲板にあるカタパルトから最初の一弾が発射された。第2射、第3射と続き各艦30分で8発の桜花を発射した。およそ1㌧の爆弾を積んだ誘導弾160発が各造船所を目指して飛翔していった。先に艦隊の前方100㎞まで進出していた潜高210と211潜は11分後、着弾位置を確定する信号を桜花に送り、目標に向けた飛行経路が決定された。あと14分ほどで着弾である。

米側の被害は甚大で、ニューポートでは船台にあったヨークタウン・イントレピットそれぞれ4基と2基が直撃、ホーネットに1基直撃、船台と共に大破、フランクリンとタイコンデリアには至近弾となり資材に大きな損傷を受けることになった。ベツレヘムも同様でレキシントンとバンカーヒルは沈座、ハワイ攻撃と同じような状況となった。ワスプ、ハンコックの資材も直撃を受け起工すらままならなくなった。ただ救われたのは早朝の攻撃であったため民間人の被害が少なかったことであった。
艦隊は桜花を発射するや直ちに潜航、攻撃地点から離れた。各艦は単独航行で自由に航路を選び、地球を3/4週する大作戦は成功裏に終わった。半年後サンディエゴ工廠を目標とした“第2嵐作戦”が実施され潜水艦と誘導弾の攻撃がいかに有効なものであるかが実証されたのであった。