42.艦隊補給艦“速吸(はやすい)”級

Ⅰ型        
1 速吸(はやすい) : 大分の瀬戸に因む 播磨造船所 昭和17年(1942) 01.15
2 風早(かざはや)  : やはり瀬戸 播磨造船所 01.25
3 犬吠崎(いぬぼうさき) : 千葉の岬 日立因島 02.28
4 常神(つねがみ) : 福井の岬 大阪鉄工 02.14
5 野母崎(のもざき) : 長崎の岬 新潟鉄工 02.22
6 竜飛(たっぴ) : 青森の岬 函館船渠 03.03
7 大須(おおす)  : 宮城の岬 大船渡造船 03.10
8 真鶴(まなづる) : 神奈川の岬 横浜船渠 04.08
9 大王(だいおう)  : 三重の岬 清水造船 04.17
10 佐田岬(さたみさき) : 愛媛の岬 日立因島 05.07
         
Ⅱ型        
11 音戸(おんど) : 瀬戸内の瀬戸 播磨造船所 昭和17年(1942) 05.23
12 地蔵埼(じぞうざき) : 島根の岬 大坂鉄工所 06.09
13 波勝(はがち) : 静岡の岬 新潟鉄工 07.03
14 知念崎(ちねんざき) : 沖縄の岬 函館船渠 07.16
15 坊ノ岬(ぼうのみさき) : 鹿児島の岬 横浜船渠 08.05
16 都井岬(といさき) : 宮城の岬 清水造船 09.11
17 御前崎(おまえざき) : 静岡の岬 日立因島 10.04
18 知床(しれとこ) : 北海道の岬 大船渡造船 10.23
19 珠洲岬(すずさき) : 石川の岬 石川島造船 11.15
20 日御碕(ひのみさき) : 和歌山・島根 新潟鉄工 12.22
         
Ⅲ型        
21 入道(にゅうどう) : 秋田の岬 播磨造船所 昭和18年(1943) 01.15
22 東尋坊(とうじんぼう) : 福井の岬 石川島造船 01.31
23 三保(みほ) : 静岡の岬 清水造船 02.02
24 相生(あいおい) : 石川の岬 横浜船渠 02.28
25 成生(なるお) : 京都の岬 日立因島 03.07
26 潮岬(うしおみさき) : 和歌山の岬 新潟鉄工 04.18
27 蒲生田(がもうだ) : 徳島の岬 大船渡造船 04.14
28 鶴見崎(つるみざき) : 大分の岬 函館船渠 05.23
29 赤穂(あこう) : 岡山の岬 石川島造船 05.25
30 川尻(かわじり) : 山口の岬 新潟鉄工 05.31


  【要目】
  基準排水量18,300㌧ 満載排水量21,812 全長161.10m    全幅20.1m     吃水8.83
  機関:石川島式タービン11 15,000馬力(9,500馬力)速力23㌩(17㌩史実)  
      13m特貨艇×1

  【兵装】
    戊式40㎜連装機関砲×6基  253連装機関銃×4
    159連装対潜噴診砲×4基  ※流星艦爆×6機
      (史実:40口径5吋連装高角砲×2基 253連装×2基 同連装機銃×1基)

  【補給能力】
     重油9,800㌧  ガソリン146㌧  エンジンオイル92㌧  真水750
     10.5㎝砲弾7,200発 40㎜機関砲弾100,000    25㎜機銃弾50,000120,000)発 15㎝噴進砲弾3,000
       500㌔爆弾6又は250㌔爆弾12基  野菜30㌧ 糧食1,100人分1ヶ月   ウエス10

 史実での“風早”級は昭和16年○五計画で建造された戦時急造輸送艦であった。昭和19年4.24竣工であり風早級の2番艦であるが同型ではない。建造当初対潜哨戒までおこなえる輸送艦として流星艦爆6機を搭載、これによって対潜攻撃を自ら実施する変り種の艦であった。注目すべきはこの艦の艦隊随伴用の能力で補給物資の多様さであり、この種の艦を海軍も必要になったことが分かる。しかし、いかんせん建造時期が遅すぎた。結局艦隊に随伴することはなく単なる輸送艦として運用され、予定されていた搭載機による対潜哨戒も行われなかったようである。いかに戦況がひっ迫しているとはいえ本級のような輸送艦に対潜作戦を兼任させること自体無理があったと言えだろう。
 本稿での艦政本部は、東征に随伴する補給艦を必要条件として認知し、輸送船“速吸型”30隻の建造を開始した。昭和14年11月のことである。竣工・就役は17年初頭からミッドウェーには間に合わず昭和17年5月からの作戦に投入された。
 艦隊での評価は高く、給油艦足摺型とともに横曳の状態で僚艦への燃料、糧秣の補給が可能で戦闘部隊の随伴艦として活躍した。


  図1.原型

 
 とうとう、速吸まで引っ張り出してきました。私はどうも太平洋戦争に間に合わなかったり、完成しなかったなどいわく付きの船が好きなようでこうゆう艦ばかり目に入ります。この“速吸(はやすい)”も日本海軍図面集でタンカーの項を観ていたら偶然見つけたもので、まさか昭和19年にこのような大型補給艦が竣工したなどと思ってもみませんでした。早速トレースして艦型図を作成しましたが、
  ・経年変化で見開きページの左右が合わない。右ページが傾いている。
  ・図面に修正の後が多く、当時に書いたものではなく戦後描いたような雑さがある。線がきちんと繋がっていない個所が多い。(本物の海軍の図面はこんなことはありません。)

などのことがありあまり信用しませんでした。でも、速吸はこれしか資料がありませんので参考にしつつ直しながら書いてみました。資料には艦隊にて横曳で補給可能と書いてあったのですが図面からは左舷のみにその機能が集中されていたようです。いずれにしても面白い艦だし、艦隊には絶対必要なので大量建造を開始しました。所属は1番艦から10番艦までは聯合艦隊補給本部、11番以降は海上輸送隊本部です。

 改正すべき点はまず速力です。艦隊に随伴するのですから22㌩は欲しいです。で馬力も6000馬力ほどアップさせて23㌩を確保しました。全長は161.1mのままです。この長さは護衛空母にもなる長さで“速吸”をよみがえらせたのもその辺の事情もあります。それから、左右横曳航補給をするにはカタパルト位置に補給用のデリックが必要なのでⅠ型ではマストを立てています。作業甲板は波浪に関係なく安全に作業が出来るようそのまま残しました。ターンテーブルも荷役用としてレールと共に残しました。
 その他対空は40㎜連装機関砲を8基(16門)、同98式射撃管制装置2基、対潜兵器は単艦になる場合を考慮して15cm9連装墳射装置3基、15式水中聴音機、16式水中探信儀(3000mにて誤差左右±15m2組)を装備しています。

  図2.艦隊補給艦“速吸” 



Ⅱ型、Ⅲ型については追記していきます。この艦たちで構成したヒ-71船団が米潜水艦を大量に撃沈するシーンを想像して下さい。


追記:艦隊補給艦“波勝”(13番艦)= 速吸級10番艦音戸~20番艦日野岬

 寄稿に間に合いませんでしたが、こちらが速吸型艦隊補給艦のあるべき姿です。Ⅰ型はとにかく就航を急ぎ艦隊の要望に応えるべく17年1月~5月にかけて建造された10隻でした。為に燃料以外は左舷に集中して横曳で補給業務を行ったことになります。しかし、これでは不便なので11番艦の音戸以降は左右両舷からの補給が可能なように、2本の補給用デリックを門型にし、艦上を作業効率が良いようにすっきりと整理しました。無論波浪に関係なく作業が出来る上甲板は取り付けています。
 電子機器も後部マスト上でまとめ、その下部の船室を拡大してCIC化しました。海軍の中で電子機器を一か所にまとめ初期のCIC化したのは本艦が初めてです。軽巡でこの試みをしましたがスペース的には音戸級の方が広く、機器も充実しています。輸送船団の被害が劇的に減ったのもこれらの設備と護衛空母の対潜機との有機的な対潜攻撃ができたおかげです。カ号観測機の中央甲板への着艦実験は成功しましたが、門型マスト等の障害物があり実用的ではないことがわかり搭載されておりません。また、艦首がⅠ型に比べ商船型になっており凌波性が改善されています。
 昭和17年のこれらの諸艦が完成したことで17年からの石油輸入事情は好転し備蓄も順調で以降の艦隊行動に支障をきたすことはなくなりました。真珠湾攻撃で実施された洋上での補給実績を活かした結果と言えるでしょう。
 
 このクラスはⅢ型があります。艦隊補給艦としての機能を更に充実したもので詳細は後述します。また、船体が比較的大型であった為護衛空母としても建造されましたが詳細は別項にて後述します。


  図3.艦隊補給艦Ⅱ型音戸型"波勝"