41.幻の超甲巡 B-65改(金剛代艦)

  瑞穂   (みずほ)      呉工廠     昭和1411.07竣工
  高千穂 (たかちほ)     三菱長崎    昭和1411.07竣工 
  秋津島 (あきつしま)    横須賀     昭和1610.01竣工
  大八洲 (おおやしま)   神戸       昭和1612.08竣工

  【要目】
  基準排水量32,400㌧  満載排水量38,750  全長246.5  30.5  吃水9.0
  機関艦本式タービン×8基 4軸 16万馬力  速力33.0

  【兵装】
  9935.6cm55口径3連装砲×3基(9門)     10.5cm連装高角砲×8基(16門)
  戊式40㎜連装機関砲×18基(36門) 253連装機銃×8
  同25㎜単装機銃×30門以上(後日装備の為装備数は推定)

  本艦は計画のみに終わった幻の巡洋戦艦です。しかし、この艦を日本海軍が計画中という誤報が米海軍に伝わり、大型巡洋艦アラスカ級が誕生したという逸話は皆さんご存知ですね。米海軍では大西洋の戦いも視野に入れ、独巡洋戦艦ドイッチェランド・アドミラルシェア、更にシャルンホルスト・グナイゼナウにも対抗しうるよう1940年の両洋艦隊法によってアラスカ級を6隻も計画しましたが、完成したのはアラスカ、グアムの2隻のみ、3番艦ハワイは未成、他のフィリピン、プエルトリコ、サモアは起工さえされなかったと聞きます。計画時期は戦艦ノースカロライナと同じ頃(1935)でして、当初の案では30.5㎝×6門などという艦も計画されたようです。米海軍も様々な情報に振り回されたようでアラスカ級の建造目的が曖昧になってしまい、この艦自体が中途半端なものになってしまったようです。ただ、私はアラスカ級が大好きでして、中途半端と言われる砲、マストを兼ねた煙突などにすごく惹かれます。カッコいい巡洋戦艦でファンも多いようです。記憶に残る軍艦ですね。私もその一人ですが…。

  さてB-65ですが、この艦については第一刊で“砲煙の巨竜・内田弘樹著”にあった大型重巡洋艦“剱級”の艦型図を掲載させて頂きました。内田氏があの著作の中で発表した艦は形こそB-65を模したものですが50口径36㎝3連装×3基を搭載した戦艦で、すこぶる強力な武装を備え金剛代艦として十分能力を発揮しうる艦であります。私は第一刊で搭載砲を50口径30.5㎝砲として紹介してしまったので今回お詫びと訂正をさせて頂きます。ただ、新造時は50口径30㎝砲搭載艦で、改造により50口径36㎝砲になったという記述でしたので半分は正解だと思っています。そんなこと?と思う方もいらっしゃるでしょうがそこが小説であり物語であると私は割り切っています。図で分かるように航空艤装を艦尾に持ってきたので中央部にゆとりができ、火砲については満載42,680㌧という艦体を十分活かした充実したものになっています。




  図2は計画時のB-65、アラスカ級、大巡“剱”(内田弘樹著)と本稿の高速戦艦B-65改、殿艦“大八洲(おおやしま)”との比較表を示しております。
  この図で示したように剱級と今回の“瑞穂”級は機動部隊の直衛艦であり、航空攻撃の後、米機動部隊と砲撃戦となった時40.5㎝砲を搭載している米新鋭戦艦との戦闘を想定しなくてはなりません。このため、36㎝砲でも55口径は必要ではないかと考えるようになった訳です。(正確には35.6㎝砲・砲弾流用の為)それでなくては金剛代艦になりえないですし55口径を搭載して初めてB-65改になるのではないかと考えました。55口径35.6㎝3連装3基9門となると、超甲巡ではなく戦艦だから大和の次になりA141になるのかな?などと妄想する時が一番楽しいのですが・・・。本稿ではこの4隻を建造後25年を経て旧式化した金剛級の代艦と位置づけ、空母機動部隊の司令、護衛任務に就く艦という設定で建造しました。金剛型が行っていた任務を新型高速戦艦がそのまま引き継ぐ形になるわけです。(どこかで金剛級のバルジの中に入り錆落としの為ハンマーで船体をたたくと錆の塊が雨のように落ちたという体験記を読みました。)

  艦名ですが、国名は既に改翔鶴型空母につけてしまったので困ってしまい“日本”を象徴する別名を探しました。1940代年初め頃のジェーン海軍年鑑、JAPANの項には後の“大和”が“日進、東郷、瑞穂”などと言う艦名で紹介されていました。まさか東郷はないでしょ!などと思ったものです。それで探したらジャパン、小日本等の他に表題の“瑞穂、敷島、秋津島、大八洲”等の名がありました。その他、大和、扶桑、八島などもありましたが既に命名されている名前ばかりなのでそれらは没にしたわけです。そうしたら、海上保安庁は既に大型巡視船にこれらの名を付けているのです。名前について海上保安庁は自由で、何度でも改名し放題ですから…。(保安庁ファンの方御免なさい)しかし、56年前、私小学校6年生の時“大八洲”という巡洋戦艦を図面化していたのでこの名前を命名することにしました。ちと長いですがその内慣れるでしょう…。また、高千穂は天孫降臨の峰なので敢えて選んだわけです。話を戻します。

  主砲55口径36㎝3連装砲は新た呉工廠で開発されたもので、昭和14年亀ヶ首射撃場で試射の結果、40㎝砲搭載の米戦艦に十分対抗できることが確認され、99式55口径36糎3連装砲として制式採用となりました。射程は装薬の増量により38㎞となり長門とほぼ同じです。この砲はさすがに重巡用の20㎝砲のように簡単には図面が引けなくて、55口径の砲の長さを確保したうえ大和の主砲を縮小しました。反対に36㎝3連装を搭載するため吃水は0.5m深くなっておりその分船体の高さは増しました。これも凌波性と居住性の向上のためです。

 速力は当初米空母サラトガ・レキシントンが35㌩を発揮できるため36㌩以上が要求されたのですが、他の米空母は30㌩以上という程度で特に高速でもなく、本艦の主任務が機動部隊の護衛であることから翔鶴・大鳳級の艦本式タービンを若干改良し17万馬力を発揮させ、最高速力33㌩を確保することで落ち着きました。
 対空砲は98式10㎝連装高角砲を中心に、戊式40㎜機関砲を加え、近接砲に25㎜3連装及び単装砲を装備しました。単装25㎜機銃は砲楯付きであることは無論ですが米海軍のエリコン20㎜の装備方法と似たものだと考えて下さい。長10㎝高角砲の配置ですが、小学生の高学年の時、雑誌“海と空”の写真ページの最後に超甲巡B-65の薄ぼんやりとした大体図のようなものを見た記憶があり、その図では高角砲は片舷4基が甲板に直接配置されておりました。横須賀の三笠艦内に展示してあるB-65がそれを著しております。ちなみに米マイクロノーツGHQのミニ艦船シリーズでB-65の1/2400のモデルが発売されていましてこれも“海と空”の図面と同じで片舷4基並列です。米国には図面か何か根拠があるのでしょう。しかし、これでは1番3番砲の前方視界が確保されませんのでこの配置では完成しないはずです。それで2段にして中間を40㎜機関砲エリアにしてみました。
 また、カタパルトですが後部に持ってくることが一番楽なのですが、艦尾平甲板でそれをやると水偵3機の格納庫と舵取機室のスペースが苦しいのです。“海と空”の図でもカタパルトは中央部にありましたので図のように格納庫とクレーンを並列にしてカタパルトを1基(B-65と同じ)として描きました。



  この艦のデザインは8案ほど書きました。図3はごく初期のものでまだ後部構造物が“剱”のままです。その後中央部が大分空きましたので高角砲をもう1基載せて10基にしようか等と想いましたがやはり防空は遠・中・近でまとめないと隙が出来ると思い中央部に40mm機関砲の集中配置をすることにしました。
  本稿では米海軍と同じボフォース40㎜機関砲を中空域2000~3500m迎撃用として各艦に搭載しています。元々海軍はビッカース社製の40㎜機関砲を1925年ぐらいから採用し、呉で生産を始めましたがこの砲の性能がもう一つで中空域の迎撃に隙がありました。マレー作戦の時(1941・12)のシンガポールでボフォース40㎜機関砲を鹵獲しましたが、なんと陸軍がコピーを開始し終戦まじかに数門が完成したそうです。海軍が直ぐ関わっていればもっと早く実用化出来たでしょう…。陸海軍の確執が米海軍の急降下爆撃と雷撃に協力してしまった訳です。本稿の40㎜機関砲は1936年(昭和11年)日独防共協定を結んだ時から2年後の昭和13年に潜水艦で密かに持ち込まれたものということになっております。米海軍のようにこれを2基繋げて4連装にすることはありませんでした。海軍の艦船は比較的幅が狭く、搭載時の重量と面積で制約が多いと判断したためです。

 

  艦橋も大和のそれを乗せてみましたが似合わないので不要な部分ははずし少し細くしてみました。最後までこの艦橋でOKと思っていましたが高過ぎる?細過ぎないか?などの不安・妄想に執りつかれまして、友人の見せたところ艦橋の細さがバランス的に変だと指摘されたのです。



  意見を取り入れて、艦橋を少し縦長にして一層低く、更に2番砲を少し前に移動してみました。これが最終形態です。何となく安定感が出てB-65の原型に近くなったと思います。集中防御を徹底し、主砲を後部に移動すると簡単に“大和”になってしまいます。やはり、造船監って凄い、ギリギリまで“大和”を小型化しようとしていると感じた瞬間でした。
  完成ですと言いたいのですが、この艦は“幻”。まだいくらでも艦型を変えられます。この図は昭和17年8月頃ということにして、それ以降はまた書き足して行きたいと考えております。
  処で、この艦は昭和11年計画と13年計画で建造されましたので竣工はそれぞれ14年と16年になります。こちらを優先しますので13年と15年にできたはずのB-65(剱、黒姫、鞍馬、大雪)は幻の艦になってしまいました。