川西:紫電三二乙・丙型戦闘機“紫電改”
全幅11.99m × 全長9.496m × 全高3.96m
全備重量4,200kg 発動機:神戸川崎製“誉21型改”空冷星形18気筒2,200hp
最高速度 645q/h 降下制限速度440q
航続距離1,850q(乙型) 2,900q(丙型)※330L増槽装着時
武装: 乙型 20o機関砲×4 12.7mm機銃×2基(機首装備マウザー)
丙型 12.7o機銃×6基(機首×2 翼内×4丙型マウザー)
ライバルであるF6Fヘルキャットの諸元を記します。
全幅13.06m × 全長10.24m ×高さ4.39m
全備重量5,779kg 発動機:B&WR-2800空冷星形18気筒2,000hp
最高速度 611〜629q/h 降下制限速度440q
航続距離1,759q(150gal増槽) F6F-N2630q(同増槽)
武装:12.7oブローニング機関銃×6基
本機完成までの川西社の努力に感謝します。“強風”という水上戦闘機から中翼の“紫電”を改修製作し、失敗を繰り返したが最後に低翼局地戦闘機“紫電二一型”を完成させたわけです。実史では本機の前に“紫電改21型”が存在しましたが、本稿では機首上部に12.7mm機銃2基を増設した32型甲を範としました。たった一機しか製造されなかった本機ですが、零戦の後の艦上戦闘機が局地戦のまま20o機銃4基だけというのも何か変な気がしたからです。初期生産型が20oと12.7oの混載型(乙型)、中期から12.7mmのみの丙型が生産に加わり2種類の機体が並行して生産されました。生産機は乙3,800機、丙4,280機の合計8,080機が生産され、昭和18年9月から19年11月まで海軍の主力戦闘機として活躍しました。
発動機が神戸川崎製になったのは同社がいわゆるダイナミックバランサー(慣性平衡装置)の製造に挑戦し大馬力発動機の振動を消すことに成功したからです。この成功のお蔭で同機はF6Fに十分対抗できる戦闘機となり、341空の武村中尉からも「攻撃力は無論運動性においても新型グラマンに負けない。」という評価を受けるようになりました。