中島:天山(十四試艦上攻撃機)

 

寸 法:全長10.865 × 幅14.894 × 高さ3.82

重 量:5,400kg(装甲装備により200kg増大)

機 関:三菱“火星二五型”空冷星形14気筒1850hp(実史) 

    →神戸製鋼所製 “火星三三型改”2050hp(本稿)

速 度:481q/時 → 515q/時(本稿)

航続距離:3,300q

上昇限度:11,000

搭載兵器:魚雷800kg(九一式航空魚雷改三(強) × 1

    :爆弾800kg又は500kg × 1  250× 2  60kg× 6

兵 装:13o固定機銃(7.7o機銃)×2  13o旋回機銃(後部・上下各1)× 1 

レーダー:H6電探 ×1  電波高度計  自動操縦装置一式

初飛行:昭和152月(1940)→ (実史昭和〇〇年〇月)

生産開始:昭和1611月(1941)  

配 備:昭和176月(1942

総生産機数:3,266機(内1,500機は陸軍用)

 

97式艦攻の後継機。流星改の項で述べる航空機製造分業化政策の利点を生かした最初の生産機となった。三菱が後の零戦の製作に邁進中であったので、昭和14年中島が競合なしに試作を命じられる。両翼にドイツから伊-8で持帰ったマウザー12.7o機銃が搭載され、後部にも同旋回機銃が搭載されて、前方からの攻撃にやっと反撃できることになった。マウザーは13oであったが、銃弾の規格を日本に合わせ口径を12.7oとした。また、開戦劈頭から搭乗員の被害が顕著になり対策が必要となった。その主なものは搭乗席周辺の対弾強化でありエンジン上部及び下部カウリングのアルミ合金の厚板化、背もたれ板の対12.7o弾防御となって実現した。更に燃料タンクにもゴム被膜が張られるなど燃料の防漏対策を講じた。この対策により空飛ぶライターと揶揄された日本機が抜群の抗戦性能を発揮することになった。天山はこういった対策を講じた艦攻として製作された1号機である。

戦局は刻々と変化し、大陸で中国軍を相手に戦っていた陸軍も島嶼防衛・攻撃が主たる戦闘となって来た。この為双発の爆撃機よりも使い勝手の良い単発の攻撃機を必要とするようになった。海軍との話し合いの結果、配備や整備の都合上、共通機が有効であり合意も得られたので陸軍も天山を採用することになった。

流星改の製造が思ったより順調に推移したため、天山は97艦攻に代って対潜護衛空母へ搭載されるようになった。機体は大型であったが搭載するH6電探や磁気感知機が対潜作戦に有効であり米潜水艦発見に威力を発揮した。なお対潜空母から発進した天山には紫電改が護衛についた。台湾南部のバシー海峡哨戒を担当する陸軍の天山はフィリピン沖にまで哨戒海域を広げ、米潜水艦の排除にあたった。

このように天山は昭和18年には活躍場所を流星改に譲る形となったが、対潜空母の対潜作戦や潜水艦の脅威地域で縁の下の力持的に活躍した。このため日本が一番重要視していた輸送量が劣化することはなかった。